(1957/イングマール・ベルイマン監督・脚本/ヴィクトル・シェストレム、イングリッド・チューリン、グンナール・ビョルンストランド、ビビ・アンデルセン、マックス・フォン・シドー/90分)
ほぼ30年ぶりの再会だ。世界的な名作だし、双葉さんの評価も最高級の90点だったので(確か新橋のフィルムセンターだったと思うが)、もの凄い期待感をもって観に行った記憶がある。残念ながら二十歳そこそこの若者には、この映画の良さは分からなかった。人生折り返した今でこそ分かる映画のような気がする。もっともベルイマンは、これを39歳の若さで作ったのだが。
ストックホルムに住む78歳の老医師、イーサク・ボルイ(シェストレム)。50年に及ぶ医療活動と医療機器の開発に対して、明日ルンド大学で名誉博士の称号を受けることになっている。妻は早く亡くなり、一人息子エーヴァルド(ビョルンストランド)もルンドで医者をやっている。96歳の母親も健在だが実家で一人暮らし、9人の兄弟は皆死んでしまった。イーサクの身の回りの世話をしてくれるのはアグダという住み込みの家政婦だけ。他人との関わりを極力避けてきた為に、さすがにこの年になると孤独を感じるようになった。
『他人と交わす会話の内容といえば、たいてい知人の噂話か悪口ばかりだ。私はそれが嫌で友を持たなかった。人との付き合いを断ってきた』
映画は、そんなイーサクのモノローグで始まる。
ルンドへは飛行機で行く予定だったが、早朝に変な夢を見、早めに目が覚めた為に急遽(きゅうきょ)車で向かうことにする。アグダは飛行機を楽しみにしていたので車には乗らず、先に飛んで現地で待つことになる。同乗者は、数日前から泊まりに来ていた息子の嫁マリアン(チューリン)。息子の嫁が何故一人だけ居るのか? それはおいおい旅の途中で分かってくる。
マリアンはエーヴァルドと冷戦中で、イーサクに相談に来ていた。エーヴァルドには大学時代の学費を父親に返すという約束があり、その事のために仕事に時間を多く取られるのが不仲の原因、そうマリアンは言うのである。
しかしイーサクは、『約束は約束だ。夫婦のもめ事に私を巻き込まないでくれ』と冷たく言葉を返す。そんな義父をマリアンはエゴイストだと言う。よそ様には人格者だと思われているようだが、家族は知っている。エーヴァルドも陰では嫌っている、と・・・。
ロード・ムーヴィーであり、加えて老人の人生を遡る過去への旅でもあります。
人との繋がりを避けてきたつけが、孤独という形で突き付けられている老人。早朝見た夢は明らかに死をイメージさせるモノであり、残り少ない時間を意識したが故に、イーサクは車での旅、過去への旅を思い立ったに違いありません。
イーサクとマリアンが乗った車は、ストックホルムからルンド迄の間に、彼が二十歳を迎えるまでに毎年夏を過ごした別荘や老母が住む実家に寄ります。又、イタリア旅行に行く途中だという女性一人を含む3人組のヒッチハイカーを乗せたり、事故車の夫婦を乗せたりします。
懐かしい場所や他人との関わりの中で、当時を回想したり、過去を想う幻想的な夢をみます。自らに審判を下すような苦々しい夢もみます。全ては老人の内面を反映したもので、旅は老人に他者との関わりの意義を再認識させ、人生の幸せを感じさせて終わるのです。難解なイメージがあるベルイマンの中では、とっつき易い部類に入るのではないでしょうか。最高傑作と言われるのが良~く分かりました。
▼(ネタバレ注意)
今は主も居ない別荘では、かつての婚約者サーラがプレイボーイの弟とキスするところに出くわす。夢というよりは、過去に迷い込んだような光景だ。サーラはイーサクの優しさに惹かれながら、また物足りなさも感じていた。弟とキスしたことを悔いていたが、結局サーラは弟と結婚してしまった。
別荘の居間にはイーサクの幼い兄弟達もいたが、老人のイーサクには誰も気が付かなかった。
実家を訪れた時にはマリアンに、お義父さんのエゴが強いのは母親譲りだと言われ、それはエーヴァルドにも受け継がれていると言われる。母親が大事に取っていた懐中時計は、今朝の夢と同じ針のない奇妙なモノだった。
別荘での夢は、自分に呼び掛ける若い娘の声で途切れる。彼女はこの土地の現在の持ち主の娘だった。
イタリア旅行に行く途中だというその娘はサーラといって、さっきまで思い出していた昔のサーラとそっくりだった。彼女と彼女の婚約者、そしてもう一人のお目付役だという男友達とのヒッチハイクの旅で、3人はイーサクの車に乗せてもらうことになる。神学生の婚約者と医学生の友人との間で揺れるサーラは、昔のサーラのようでもあり、そういう関係を隠さないでいられる若者達を羨ましく思うイーサクであった。
事故車の夫婦とは、イーサクの車とぶつかりそうになって横転してしまった車の夫婦。事故の原因は夫婦喧嘩にあり、イーサクの車に乗っても喧嘩を止めない二人をマリアンは、若い人に悪い影響を与えるからと途中で降ろす。イーサクはこの夫婦に昔の自分と妻を思い出すのだった。
老母が住んでいるのは、かつて初めて開業医を始めた土地だった。懐かしい知人がやっているガソリンスタンドで給油するが、店の主人(シドー)は恩義があるので代金は要らないと言う。『ココに、ずっといればよかった』。そう呟くイーサク。
いつから人に感謝されない人間になったのだろう?
旅の終盤には、更に奇妙で不快な夢を見る。優しかった婚約者は鏡を持ち出して『あなたはもう老人なのよ』と言い、事故車の夫にそっくりな男に導かれた建物の中では、試験とも裁判ともとれる審判が執り行われ、イーサクには人生の落伍者の烙印が押される。そして、まだ若かった妻が知らない男と密会しているところを見せられる。それはイーサクが亡き妻を想い出すときに常に浮かんでくる場面だった。
『私への罰は?』
『孤独です』
ルンドではアグダとエーヴァルドが待っていた。授与式の間、イーサクは今日一日を振り返る。色々な物事が何かを示唆しているように感じた。
マリアンとエーヴァルドはやり直すようだ。アグダには改めて急な旅の予定の変更を詫びた。
ベッドに入ると、庭の方から唄が聞こえてきた。式も見に来てくれた例の3人組の若者が別れの挨拶に来たのだ。少女は『おじ様が一番好き』と言ってくれた。
イーサクは昔を思い出す。心配事や悲しい事があった日には、いつも子供の頃を思い出しながら寝たものだが、今夜もそうしようと思う。それは、あの夏の別荘での兄弟達や、まだ仲睦まじかった両親の姿だ。
優しかったサーラが手を取ってくれた先には、入り江で釣り糸を垂れている父と、後ろで見守っている母の姿があった。
▲(解除)
1958年のベルリン国際映画祭で金熊賞、1959年のゴールデン・グローブで外国映画賞を受賞、同年のアカデミー賞で脚本賞にノミネートされました。
今年7月に亡くなったイングマール・ベルイマンの代表作。NHKーBSでのベルイマン特集での再会でした。
※ 夢に関する追加記事はコチラ。
ほぼ30年ぶりの再会だ。世界的な名作だし、双葉さんの評価も最高級の90点だったので(確か新橋のフィルムセンターだったと思うが)、もの凄い期待感をもって観に行った記憶がある。残念ながら二十歳そこそこの若者には、この映画の良さは分からなかった。人生折り返した今でこそ分かる映画のような気がする。もっともベルイマンは、これを39歳の若さで作ったのだが。
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ストックホルムに住む78歳の老医師、イーサク・ボルイ(シェストレム)。50年に及ぶ医療活動と医療機器の開発に対して、明日ルンド大学で名誉博士の称号を受けることになっている。妻は早く亡くなり、一人息子エーヴァルド(ビョルンストランド)もルンドで医者をやっている。96歳の母親も健在だが実家で一人暮らし、9人の兄弟は皆死んでしまった。イーサクの身の回りの世話をしてくれるのはアグダという住み込みの家政婦だけ。他人との関わりを極力避けてきた為に、さすがにこの年になると孤独を感じるようになった。
『他人と交わす会話の内容といえば、たいてい知人の噂話か悪口ばかりだ。私はそれが嫌で友を持たなかった。人との付き合いを断ってきた』
映画は、そんなイーサクのモノローグで始まる。
ルンドへは飛行機で行く予定だったが、早朝に変な夢を見、早めに目が覚めた為に急遽(きゅうきょ)車で向かうことにする。アグダは飛行機を楽しみにしていたので車には乗らず、先に飛んで現地で待つことになる。同乗者は、数日前から泊まりに来ていた息子の嫁マリアン(チューリン)。息子の嫁が何故一人だけ居るのか? それはおいおい旅の途中で分かってくる。
マリアンはエーヴァルドと冷戦中で、イーサクに相談に来ていた。エーヴァルドには大学時代の学費を父親に返すという約束があり、その事のために仕事に時間を多く取られるのが不仲の原因、そうマリアンは言うのである。
しかしイーサクは、『約束は約束だ。夫婦のもめ事に私を巻き込まないでくれ』と冷たく言葉を返す。そんな義父をマリアンはエゴイストだと言う。よそ様には人格者だと思われているようだが、家族は知っている。エーヴァルドも陰では嫌っている、と・・・。
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ロード・ムーヴィーであり、加えて老人の人生を遡る過去への旅でもあります。
人との繋がりを避けてきたつけが、孤独という形で突き付けられている老人。早朝見た夢は明らかに死をイメージさせるモノであり、残り少ない時間を意識したが故に、イーサクは車での旅、過去への旅を思い立ったに違いありません。
イーサクとマリアンが乗った車は、ストックホルムからルンド迄の間に、彼が二十歳を迎えるまでに毎年夏を過ごした別荘や老母が住む実家に寄ります。又、イタリア旅行に行く途中だという女性一人を含む3人組のヒッチハイカーを乗せたり、事故車の夫婦を乗せたりします。
懐かしい場所や他人との関わりの中で、当時を回想したり、過去を想う幻想的な夢をみます。自らに審判を下すような苦々しい夢もみます。全ては老人の内面を反映したもので、旅は老人に他者との関わりの意義を再認識させ、人生の幸せを感じさせて終わるのです。難解なイメージがあるベルイマンの中では、とっつき易い部類に入るのではないでしょうか。最高傑作と言われるのが良~く分かりました。
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▼(ネタバレ注意)
今は主も居ない別荘では、かつての婚約者サーラがプレイボーイの弟とキスするところに出くわす。夢というよりは、過去に迷い込んだような光景だ。サーラはイーサクの優しさに惹かれながら、また物足りなさも感じていた。弟とキスしたことを悔いていたが、結局サーラは弟と結婚してしまった。
別荘の居間にはイーサクの幼い兄弟達もいたが、老人のイーサクには誰も気が付かなかった。
実家を訪れた時にはマリアンに、お義父さんのエゴが強いのは母親譲りだと言われ、それはエーヴァルドにも受け継がれていると言われる。母親が大事に取っていた懐中時計は、今朝の夢と同じ針のない奇妙なモノだった。
別荘での夢は、自分に呼び掛ける若い娘の声で途切れる。彼女はこの土地の現在の持ち主の娘だった。
イタリア旅行に行く途中だというその娘はサーラといって、さっきまで思い出していた昔のサーラとそっくりだった。彼女と彼女の婚約者、そしてもう一人のお目付役だという男友達とのヒッチハイクの旅で、3人はイーサクの車に乗せてもらうことになる。神学生の婚約者と医学生の友人との間で揺れるサーラは、昔のサーラのようでもあり、そういう関係を隠さないでいられる若者達を羨ましく思うイーサクであった。
事故車の夫婦とは、イーサクの車とぶつかりそうになって横転してしまった車の夫婦。事故の原因は夫婦喧嘩にあり、イーサクの車に乗っても喧嘩を止めない二人をマリアンは、若い人に悪い影響を与えるからと途中で降ろす。イーサクはこの夫婦に昔の自分と妻を思い出すのだった。
老母が住んでいるのは、かつて初めて開業医を始めた土地だった。懐かしい知人がやっているガソリンスタンドで給油するが、店の主人(シドー)は恩義があるので代金は要らないと言う。『ココに、ずっといればよかった』。そう呟くイーサク。
いつから人に感謝されない人間になったのだろう?
旅の終盤には、更に奇妙で不快な夢を見る。優しかった婚約者は鏡を持ち出して『あなたはもう老人なのよ』と言い、事故車の夫にそっくりな男に導かれた建物の中では、試験とも裁判ともとれる審判が執り行われ、イーサクには人生の落伍者の烙印が押される。そして、まだ若かった妻が知らない男と密会しているところを見せられる。それはイーサクが亡き妻を想い出すときに常に浮かんでくる場面だった。
『私への罰は?』
『孤独です』
ルンドではアグダとエーヴァルドが待っていた。授与式の間、イーサクは今日一日を振り返る。色々な物事が何かを示唆しているように感じた。
マリアンとエーヴァルドはやり直すようだ。アグダには改めて急な旅の予定の変更を詫びた。
ベッドに入ると、庭の方から唄が聞こえてきた。式も見に来てくれた例の3人組の若者が別れの挨拶に来たのだ。少女は『おじ様が一番好き』と言ってくれた。
イーサクは昔を思い出す。心配事や悲しい事があった日には、いつも子供の頃を思い出しながら寝たものだが、今夜もそうしようと思う。それは、あの夏の別荘での兄弟達や、まだ仲睦まじかった両親の姿だ。
優しかったサーラが手を取ってくれた先には、入り江で釣り糸を垂れている父と、後ろで見守っている母の姿があった。
▲(解除)
*
1958年のベルリン国際映画祭で金熊賞、1959年のゴールデン・グローブで外国映画賞を受賞、同年のアカデミー賞で脚本賞にノミネートされました。
今年7月に亡くなったイングマール・ベルイマンの代表作。NHKーBSでのベルイマン特集での再会でした。
※ 夢に関する追加記事はコチラ。
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】
その昔、あの序盤の幻想風景が英語の教科書に載っていた絵に似ているなあと思ったり、ダリ的だなあと十代の私は面白がって観ていました。
難解ではないですが、若年にはちょっと解らない作品ですね。十瑠さんも解る年齢になられましたか。(爆)
トランジション・ショットについて書きましたが、allcinemaに私の全く同じような表現をしている人がいる!
おいおい、これでは盗作したみたいで嫌だなあ。
全く参考にならんと思って、本作についてはallcinemaは覗いていないのですが。
そもそもトランジション・ショットを知っている人は余りいないと思ったのもので、格好良く書いたつもりがトホホでやんす。
当地ではTSUTAYA閉店しましたが何の何の!
“災い転じて福となす”!
BS2&CSでまたまた本作を始めベルイマン作品に思いっきり耽溺状態!^^
正直、本作の見方、変わりました!
わたくし、今なら、このジーさんと友だちになれる!
だって、
けっこうユーモアも含んだ会話もしてるじゃないですか。
彼は負の意味での孤独ではないですわ。
彼は幸せの部類ですわよ。
年齢を経ることの意義と深みを改めて感じさせる名作と。
40歳前後が一つのピークになる名監督が結構居るような気がしますね。
棺桶に入っている自分の死体(このイーサクはゾンビのように動きますがね)と対面するシーンは、この前に黒澤が「酔いどれ天使」でも作ってまして、ベルイマンは参考にしたのかも知れませんね。
ダリの絵に、“溶けていく時計”のようなものがあって、私もソレを思い出しました。
>トランジション・ショット
不思議な効果がある技法ですよね。最初に出てきた時には、サーラにイーサクは見えないのに、次の幻想場面では二人が話をする。この作品で、すでに二つの使い方が出てきている。そして、違う効果があるんですよねぇ。
いやいや、彼は元々外面がいいんだと思いますよ。外面はいいんだけど真の友人は作らなかった、そういうことでしょう。
他人と接するときには物腰柔らかいのに、身内には冷たい、そんな男だったんだろうと思ってます、私は。
だから、“彼(の孤独)は幸せの部類”とは思えません。あの老母が、今のままのイーサクのなれの果て、そう映画は描いていたと思います。
また別の機会には、そういう観方が出来るかも知れませんが・・・。
オカピーさんチへの姐さんの疑問で・・
>身重のカラダでクルマの旅はよくなかろうて。
煙草も吸ってましたし、医者であるイーサクも何も言いませんでしたね。私も気になりました。
50年前にはそんな心配はしなかったんでしょうね。少なくとも、スウェーデン人は。
この作品の老教授の心情を理解するには、自分はまだまだかな・・・という気がします。ベルイマンが39歳でこの作品を撮っているというのは驚きですが。もし、年を取ったベルイマンが同じ題材で作品を撮ったらどのようなものに仕上がったのか、興味はありますね。
BSでベルイマン特集がやってましたね。一応録画はしましたが、どれだけ理解できるだろうと、ちょっと不安ではあります・・・。「ファニーとアレクサンデル」をやってくれなかったのが残念。CSでは放送されてたんですけどね。加入してないもので・・・。
幾つになったら分かるか?
そんなもん、誰にも分かるかーっ!ってな声も聞こえそうですな。
分かるというか、勝手な思い込みもあるでしょうし、論理的に分かると言うよりは、雰囲気的な部分もあるし・・・。
BSの特集の最初に「サラバンド」を収録中の風景も放送されてまして、インタビューでベルイマンは、自作の完成品をあまり観ないとか言ってました。
>もし、年を取ったベルイマンが同じ題材で作品を撮ったらどのようなものに仕上がったのか・・
多分、主人公は同じでも、全然違う話を一から作るって事になるんでしょうね。
夢に関する追加記事の方も、とてもわかりやすくて参考になりました。
イーサクの細かい変化まで書いてらっしゃって、「ああ、そうだったのか」と納得です。
わたしもまだまだ理解が足りないと思うので、ベルイマン監督の他の作品を観つつ、時々これを再見したいなぁと思ってます。
若い頃にはさっぱり分からなかった映画で、再見時には3回くらい続けて観ましたね。
ベルイマン作品は他にも録画してるんですが、なかなか観れません。
「第七の封印」は、宗教的すぎてちょっと分かりませんでした。フェリーニと同じように映像力は圧倒されましたが。