(1956/ジョシュア・ローガン監督/マリリン・モンロー、ドン・マレー、アーサー・オコンネル、ベティ・フィールド、アイリーン・ヘッカート、ホープ・ラング/95分)
数十年前の十代の頃にテレビで観て好きになった映画で、マリリン・モンローの出演作の中でも一、二を争う面白さだし、彼女の演技としても最高の部類の作品ではないかと思っている。
ちょっと頭の足りない、男好きの、でも根が優しい女性という彼女のお得意とされた役柄だけど、一つの映画の中で揺れ動いていくヒロインの心情が上手く表現できているし、特に終盤での、嫌いだった男の優しさに触れて心変わりしたけれど、その事を打ち明けられない女のいじらしさ、そこににじみ出る色っぽさには、今観てもノックダウンされる男性ファンは多いことでしょう。
モンタナの農場で育った世間知らずのカウボーイが、ロデオ大会に出場するために大先輩と二人で大きな町に出かけ、そこで酒場の売れない歌手に惚れる。女に触れるのも初めてのカウボーイだったが、彼女はまさしく夢に描いた通りの彼の“天使”だった。身寄りの少ない流れ者の“天使”は、カウボーイの熱さと優しさに、つい『私も好きよ』と言ってしまい、単細胞の青年は勝手に婚約成立と決め込んでしまう。
『明日ロデオ大会で優勝するから、その後会場で結婚式を挙げよう』
思い込んだら一本道。大先輩の忠告も受け付けないカウボーイは、次の日の早朝に“天使”のアパートに押し掛け、ロデオ会場に連れ出していく。結婚指輪を買い、神父まで呼びつける段取りの良さに怖じ気づいた“天使”は、カウボーイの先輩や酒場の仲間に助けられて、彼に見つからぬようにこっそり町を出て行こうとするのだが・・・という話。
“天使”は勿論、マリリン・モンロー。役名は“天使”が勝手に芸名としたシェリー。カウボーイは言いにくいからとチェリーと呼び替える。
アクターズ・スタジオでお勉強をした後の出演だそうで、丁度30歳の頃の出演ですね。わざと下手に唄っているのも可愛らしいです。
ジム・キャリーに似ているカウボーイは、これが映画初主演というドン・マレー(アカデミー助演男優賞ノミネート)。モンローより3歳年下ですが、映画の中では21歳という向こう見ずで元気一杯の若者を、それこそジム・キャリー風のハチャメチャとも言えるような怪演で見せる。今年の夏、BS放送を録画して数十年ぶりに再見した時には、こんなにも無茶苦茶な若者だったっけと、その強引さにDV男のような嫌なものを感じたのですが、先日久しぶりに観たら気にならなくなっていました。世間知らずの傲慢青年の若気の至りと思いながら観られることをお薦めします。
役名はボーレガード・デッカ-。フランス人の母親が付けた“ハンサム”という意味の名前。通称ボーでした。
ボーの人生の指南役がアーサー・オコンネル扮するバージ。ボーが幼い頃から父親代わりのように接してきたカウボーイの大先輩。こんな親子のような関係を清々しく描いた作品はアメリカ映画にもなかなかお目にかかりませんな。特に最近は。
オコンネルは、同じローガン監督の前作「ピクニック」にも出ております。
その他、序盤に登場し終盤には重要な役回りのバスの運転手がロバート・ブレイ、停留所のグレイス食堂の女将さんがベティ・フィールド、シェリーの酒場仲間にアイリーン・ヘッカート、そしてグレイスの知り合いの娘でバスの行き帰りに同乗するのがホープ・ラング。
元々はウィリアム・インジの舞台劇とのことで、映画でも2回登場する軽食喫茶兼宿泊所付きのバス停留所やシェリーが勤めている酒場なんかが背景になっているんでしょうが、「七年目の浮気」や「ティファニーで朝食を」の脚本家ジョージ・アクセルロッドは、モンタナの農場、大平原を走る長距離バス、迫力あるロデオ大会のシーン等を挿入して空間的な広がりを印象付け、ロード・ムーヴィー的なムードも作り出しています。
舞台劇を想像すると、まるで松竹新喜劇のような人情ロマンスで、ボーとシェリーの危なっかしいカップルとそれを見守る大人達の紆余曲折具合を、のんびりとした気分で観ていくのがよろしいでしょう。
お好み度は★四つ、お薦め度は★一つ控え目に。
数十年前の十代の頃にテレビで観て好きになった映画で、マリリン・モンローの出演作の中でも一、二を争う面白さだし、彼女の演技としても最高の部類の作品ではないかと思っている。
ちょっと頭の足りない、男好きの、でも根が優しい女性という彼女のお得意とされた役柄だけど、一つの映画の中で揺れ動いていくヒロインの心情が上手く表現できているし、特に終盤での、嫌いだった男の優しさに触れて心変わりしたけれど、その事を打ち明けられない女のいじらしさ、そこににじみ出る色っぽさには、今観てもノックダウンされる男性ファンは多いことでしょう。
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モンタナの農場で育った世間知らずのカウボーイが、ロデオ大会に出場するために大先輩と二人で大きな町に出かけ、そこで酒場の売れない歌手に惚れる。女に触れるのも初めてのカウボーイだったが、彼女はまさしく夢に描いた通りの彼の“天使”だった。身寄りの少ない流れ者の“天使”は、カウボーイの熱さと優しさに、つい『私も好きよ』と言ってしまい、単細胞の青年は勝手に婚約成立と決め込んでしまう。
『明日ロデオ大会で優勝するから、その後会場で結婚式を挙げよう』
思い込んだら一本道。大先輩の忠告も受け付けないカウボーイは、次の日の早朝に“天使”のアパートに押し掛け、ロデオ会場に連れ出していく。結婚指輪を買い、神父まで呼びつける段取りの良さに怖じ気づいた“天使”は、カウボーイの先輩や酒場の仲間に助けられて、彼に見つからぬようにこっそり町を出て行こうとするのだが・・・という話。
“天使”は勿論、マリリン・モンロー。役名は“天使”が勝手に芸名としたシェリー。カウボーイは言いにくいからとチェリーと呼び替える。
アクターズ・スタジオでお勉強をした後の出演だそうで、丁度30歳の頃の出演ですね。わざと下手に唄っているのも可愛らしいです。
ジム・キャリーに似ているカウボーイは、これが映画初主演というドン・マレー(アカデミー助演男優賞ノミネート)。モンローより3歳年下ですが、映画の中では21歳という向こう見ずで元気一杯の若者を、それこそジム・キャリー風のハチャメチャとも言えるような怪演で見せる。今年の夏、BS放送を録画して数十年ぶりに再見した時には、こんなにも無茶苦茶な若者だったっけと、その強引さにDV男のような嫌なものを感じたのですが、先日久しぶりに観たら気にならなくなっていました。世間知らずの傲慢青年の若気の至りと思いながら観られることをお薦めします。
役名はボーレガード・デッカ-。フランス人の母親が付けた“ハンサム”という意味の名前。通称ボーでした。
ボーの人生の指南役がアーサー・オコンネル扮するバージ。ボーが幼い頃から父親代わりのように接してきたカウボーイの大先輩。こんな親子のような関係を清々しく描いた作品はアメリカ映画にもなかなかお目にかかりませんな。特に最近は。
オコンネルは、同じローガン監督の前作「ピクニック」にも出ております。
その他、序盤に登場し終盤には重要な役回りのバスの運転手がロバート・ブレイ、停留所のグレイス食堂の女将さんがベティ・フィールド、シェリーの酒場仲間にアイリーン・ヘッカート、そしてグレイスの知り合いの娘でバスの行き帰りに同乗するのがホープ・ラング。
元々はウィリアム・インジの舞台劇とのことで、映画でも2回登場する軽食喫茶兼宿泊所付きのバス停留所やシェリーが勤めている酒場なんかが背景になっているんでしょうが、「七年目の浮気」や「ティファニーで朝食を」の脚本家ジョージ・アクセルロッドは、モンタナの農場、大平原を走る長距離バス、迫力あるロデオ大会のシーン等を挿入して空間的な広がりを印象付け、ロード・ムーヴィー的なムードも作り出しています。
舞台劇を想像すると、まるで松竹新喜劇のような人情ロマンスで、ボーとシェリーの危なっかしいカップルとそれを見守る大人達の紆余曲折具合を、のんびりとした気分で観ていくのがよろしいでしょう。
お好み度は★四つ、お薦め度は★一つ控え目に。
・お薦め度【★★★=一見の価値あり】
逃げ出すチャンスを逃したシェリーは、誘拐同然にモンタナ行きのバスに乗せられた。
そして、休憩のために立ち寄った雪のバス停留所のドライブイン。
逃げ出すつもりでいたシェリーだが、ボウの中に見た真実に心が変わり、結婚する決心をしたのだった------。
この作品は、それまでセックス・シンボルとして人気を博していたマリリン・モンローの、アクターズ・スタジオでの演技のトレーニングの成果が発揮され、彼女のターニング・ポイントとなった作品だ。
彼女のとぼけた中にも人間の悲しみを表現した演技は、辛口で知られるニューヨーク・タイムスの映画評で、「マリリン・モンローはついに女優になった」 と評されたのです。
彼女が演じるのは、田舎の純粋というにはいささか常軌を逸した、朴訥さのカウボーイにひと目惚れされる酒場の歌手の役だ。
人生の当面の目標を、ハリウッドの女優になることと決めているこの歌手の、目標からそれていく様子が描かれているのだが、ドラマはコミカルな中にホロリとさせるものがある。
何度となくカウボーイの手から逃れようとするが、とうとうそれもならないままに、雪に閉ざされた、とあるバス停留所のドライブ・インまで連れられて来てしまった。
このドライブ・インでのマリリンの一部始終、つまりカウボーイの中に真実を見たヒロインには、人生と男の裏も表も知り尽くした女ならではの、そこはかとない優しさが漂っていたように思う。