数日前の夕方、昔よく行ったブックオフの前を車で通ることになって、久しぶりだったので中に入ってみました。女性店員が以前より少なくなったみたいで、心なしか、暗い雰囲気。古い短編小説集でもないかと探していましたら、別のコーナーで、「映画検定」の公式問題集を見つけ、後学のためにと買うことにしました。
発行はキネマ旬報社。内容は、「第1回 映画検定問題と解説(2級~4級)」と「1級 公式模擬問題と解説」という事でした。
そもそも、「映画検定」なるものが何処の主催でやっているのか、その資格がなんの役にたつのかも知らないのですが、ざっと読むと、問題は概ね映画全般に関する知識を問うものばかりで、鑑賞力を問うようなものとか、技法とかに関する問題は見かけませんでした。細かには見てないですが、私が受けたら、3、4級で50点、1、2級で30点くらいではないでしょうか。
2005、6年の作品からセシル・B・デミルの話まで、とにかく欧米及び日本の映画界の、表話も裏話も広く知っていないと満点は取れないような、そんな問題集でした。
言い換えれば、調べれば分かるような問題ばかりなんですが・・・。
1級に一つだけ面白い問題がありました。
【名作における名台詞が有名になることがある一方、映画監督自身の言葉も一般に広まることがある。次の言葉は一般に誰が言ったものとして有名か。その監督名を記述しなさい。】
1.「フィルムを切るなら縦に切れ」
2.「僕は豆腐屋だから豆腐しか作らない」
3.「映画というものは退屈な部分がカットされた人生だ」
1と2は日本の監督の言葉で、それは皆さんお調べいただくとして、気に入ったのは3番の言葉。言ったのは、サスペンスの巨匠、アルフレッド・ヒッチコックです。
トリュフォーが、尊敬するヒッチコックをインタビューした時のやり取りを元にした、『映画術』という本の中で紹介された言葉らしいです。
「ある種の映画監督たちは人生の断面を映画に撮る。私はケーキの断片を映画に撮る」という映画論が昔からあったらしいのですが、その言葉をトリュフォーがヒッチコックにぶつけた時に、ヒッチさんはこう言ったそうです。
「私は人生の断面を映画に撮らない。そんなものはどこにでも転がっているからね。私にとって映画を撮るということは、何よりもまず、ストーリーを語ることだ。ストーリーにはらしさがなくてもいいが、ドラマチックで人間的でなければならない。ドラマというものは、人生から退屈な時間を全てカットしたものだと言っていい。」
面白いですネェ。
「ストーリーにはらしさがなくてもいいが」というのも面白い。リアリズムを追っていって、結局はつまらない作品になってしまった、そんな映画を作る監督さん、どこかにいませんでしたかねぇ。
サスペンス・ドラマを作っていたら、「退屈な部分」なんて出来るはずがないのですが、センスのない人にかかると、退屈なサスペンス・ドラマも出来る。
映画って本当に、面白いですネェ♪ サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
発行はキネマ旬報社。内容は、「第1回 映画検定問題と解説(2級~4級)」と「1級 公式模擬問題と解説」という事でした。
そもそも、「映画検定」なるものが何処の主催でやっているのか、その資格がなんの役にたつのかも知らないのですが、ざっと読むと、問題は概ね映画全般に関する知識を問うものばかりで、鑑賞力を問うようなものとか、技法とかに関する問題は見かけませんでした。細かには見てないですが、私が受けたら、3、4級で50点、1、2級で30点くらいではないでしょうか。
2005、6年の作品からセシル・B・デミルの話まで、とにかく欧米及び日本の映画界の、表話も裏話も広く知っていないと満点は取れないような、そんな問題集でした。
言い換えれば、調べれば分かるような問題ばかりなんですが・・・。
1級に一つだけ面白い問題がありました。
【名作における名台詞が有名になることがある一方、映画監督自身の言葉も一般に広まることがある。次の言葉は一般に誰が言ったものとして有名か。その監督名を記述しなさい。】
1.「フィルムを切るなら縦に切れ」
2.「僕は豆腐屋だから豆腐しか作らない」
3.「映画というものは退屈な部分がカットされた人生だ」
1と2は日本の監督の言葉で、それは皆さんお調べいただくとして、気に入ったのは3番の言葉。言ったのは、サスペンスの巨匠、アルフレッド・ヒッチコックです。
トリュフォーが、尊敬するヒッチコックをインタビューした時のやり取りを元にした、『映画術』という本の中で紹介された言葉らしいです。
「ある種の映画監督たちは人生の断面を映画に撮る。私はケーキの断片を映画に撮る」という映画論が昔からあったらしいのですが、その言葉をトリュフォーがヒッチコックにぶつけた時に、ヒッチさんはこう言ったそうです。
「私は人生の断面を映画に撮らない。そんなものはどこにでも転がっているからね。私にとって映画を撮るということは、何よりもまず、ストーリーを語ることだ。ストーリーにはらしさがなくてもいいが、ドラマチックで人間的でなければならない。ドラマというものは、人生から退屈な時間を全てカットしたものだと言っていい。」
面白いですネェ。
「ストーリーにはらしさがなくてもいいが」というのも面白い。リアリズムを追っていって、結局はつまらない作品になってしまった、そんな映画を作る監督さん、どこかにいませんでしたかねぇ。
サスペンス・ドラマを作っていたら、「退屈な部分」なんて出来るはずがないのですが、センスのない人にかかると、退屈なサスペンス・ドラマも出来る。
映画って本当に、面白いですネェ♪ サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
②は、同じような作品ばかり撮ると批判されての、小津安二郎のお言葉ですね。
ヒッチコックはまた極論ですが、一方で、事実通りであれば良い映画になる、なんてのは幻想でしょう。
例えば、長回しで大した変化のない場面を撮る人がいる。現実に極めて近い時間感覚ですが、本来カットすることで世界を構築すべき映画でこれが正しい方法論とは思えない。それなら、基本的に演劇で十分。
長回しは、最悪でもヒッチコックや溝口健二のように複数ショットに近い変化のあるものでなければ、観客を退屈させる可能性が大です。
長回しは両刃の刀であると、私は思いますが。
あは、ちょっと堅苦しい話になっちゃいましたね。^^;
比較的最近では、「ドント・ルック・バック」というオムニバスの韓国映画の第1話に、そんな固定カメラで撮ったシーンがあり、録画分を早送りしたのを思い出しました。
長回しのシーンながら、被対象者をカメラワークで上手く切り替えて変化をつけ、なお抜け目のない心理描写を紡ぎ出す。「鞄を持った女」などの旧い映画には、そんなシーンが沢山ありましたね。
だってわかんない問題にぶつかったら、うんうん言って寝込んじゃう人だもん!
やっぱりヒッチおじさんのお言葉が一番ね!シンプルでわかりやすいわ!♪
キャハハハ、↑で山奥の映画博士らしいお答え、キチンとしてらっしゃるわん
「映画術」=(ヒッチ・ブック)は、ほんと至言の宝庫よね!^^
「俳優は家畜だ!」(ヒッチおじさん)
「監督のお腹は元祖メタボだ!」(←これ私)
朝の散歩ですれ違う人がいますが、ネットのすれ違いも、なんか今日は良い日になるのかな、なんて思っちゃいます
>だってわかんない問題にぶつかったら、うんうん言って・・・
調べれば分かる問題だと思えば、調べずにすぐに解説をよんでしまうズルッコキ野郎です。
ヒッチさんはお腹周りは完全にメタボなのに、結構なお年まで活躍されましたよね。血圧が低かったのでしょうか?
フェリーニとかも70歳を越えて亡くなったし・・・。
いやいや、そんなことで安心していてはいけませんな。
ベルイマンとかアントニオーニとか、“巨匠だから”長生き出来たんだから
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