(1999/ウェイン・ワン監督/スーザン・サランドン、ナタリー・ポートマン、ショーン・ハトシー、ハート・ボックナー、ボニー・ベデリア/114分)
ウェイン・ワンの「ここよりどこかで」を観る。脚本がアルヴィン・サージェントだし、スーザン・サランドンとナタリー・ポートマンが親子を演じるというので買った中古DVDだ。「スモーク」レベルの味わいを期待すると失望するが、ナタリーのファンだったら楽しめる。なにせ18歳の彼女だもの。
[ 3月 17日(→twitter で)]
夢を持つのは結構だが、夢のチョイスにもアプローチの計画性にも些か問題のある母親と、その母に振り回され、憎みながら、いつか自立する日を夢みている娘との葛藤を描いた作品であります。
モナ・シンプソンという女流作家の書いた小説が原作で、原題が【Anywhere but here】。「ココ以外の場所なら何処でもいいわ」みたいな意味でしょうか。
要するに“青い鳥症候群”の母親とその娘の話で、娘からすれば早くそんな母親から自立したいわけで、娘の気持ちにも「Anywhere but here」的なものはあったでしょう。描き方によっては深刻なドラマにもなりそうですが、「スモーク 1995」のワンさんらしく、さらりと且つ繊細に描いてありました。
主演はサランドンとクレジットされていますが、映画は娘役のポートマンのモノローグが折々に挿入されながら進んでいくので、原作もそうだと思いますが、物語の主役は少女の方ですね。
オープニングが西部の荒野に延びるハイ・ウェイを黄金色のベンツが西へ向かって走っているシーンで、ハンドルを握っているのは派手な格好の母親。助手席にふてくされた顔の娘がいる。
母の名はアデル・オーガスト。ウィスコンシン州ベイシティ出身のバツ2。
最初の夫はエジプト人で一女をもうけたが、その娘アンが幼い頃に二人は離婚する。
あるクリスマスイブの夜、両親の言い争う声を聞いた後に、父親が兎の足を模した幸福のお守りを枕元に置いて家を出て行ったのをアンは覚えていた。
その後アデルは、地元でアイス・スケートのインストラクターをしているテッドと再婚したが、彼とも長くは続かなかった。「退屈なだけの男」、そうテッドを評すアデルだが、アンは優しい継父が好きだった。
そんな親子が何故西を目指して走っているのか?
美しい少女に成長したアンを女優にするのだと、アデルは故郷を後にして西海岸のビヴァリー・ヒルズに向かったのだ。アンには女優になる気など更々ないのに。
西海岸には実の父親が住んでいるらしいので、彼に会いたい気持ちもあった。何しろアンはまだ14歳。母を捨てて自活できる年齢ではなかった。母はカーオーディオからビーチ・ボーイズを流してスッカリ気分はカリフォルニアだが、娘は陽気すぎる音楽を聴いている気分ではなかった。
思い出をブリキの箱に詰めてプレゼントしてくれた従兄弟のベニー、いつも優しかったお祖母ちゃん、住み慣れた故郷が恋しい。
ビヴァリー・ヒルズの隣町の高校でスピーチの先生の職についたアデル。
まるで海辺みたいな格好の学生ばかりの新しい高校に通いだすアン。
故郷の親戚達がいつでもこれるような大きなアパートを借りるんだとアデルは威勢はいいが、料金の払い忘れで電気が止まるのも度々なのだった・・・。
芸能界へのデビューを夢見ている母親ですが、シャカリキに娘のお尻を叩いてという風ではなく母子家庭の微笑ましい苦労物語みたいな調子で語られていて、その母親に悪態をついてもそれが御尤もな内容なので娘のアンには同情したくなるし、とにかく可愛いナタリー・ポートマンと彼女の繊細な演技が収穫でした。
1999年のゴールデン・グローブで助演女優賞にノミネートされたらしいです。
17歳になったアンが大学進学を機会に母親から自立する道を選ぶところが最終シーンですが、ドラマ全体がそこに向かって組み立てられている風ではなく、そこに至るまでの小さかったり時に大きなエピソードが散文的に語られるスタイルで、映画的には味わいが勝負の作品でしょうか。僕がもっとずっと若かったら鑑賞後には原作小説を読みたくなったに違いありませんね。
お薦め度は正直★二つ半だけど、、ナタリー・ポートマンのファンのために★一つおまけしときましょう。
共演者について。
「ダイ・ハード」から11年後のボニー・ベデリアはサランドンの義理の妹(または姉)役。
男にも気の多いアデルが海辺で知り合う歯科医師とのエピソードがあり、助平ぇなその男を演じていたのは同じ「ダイ・ハード」でボニー・ベデリアの同僚で、でしゃばりのせいでテロリスト達に殺されてしまうエリスを演じていたハート・ボックナーでした。
ウェイン・ワンの「ここよりどこかで」を観る。脚本がアルヴィン・サージェントだし、スーザン・サランドンとナタリー・ポートマンが親子を演じるというので買った中古DVDだ。「スモーク」レベルの味わいを期待すると失望するが、ナタリーのファンだったら楽しめる。なにせ18歳の彼女だもの。
[ 3月 17日(→twitter で)]
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夢を持つのは結構だが、夢のチョイスにもアプローチの計画性にも些か問題のある母親と、その母に振り回され、憎みながら、いつか自立する日を夢みている娘との葛藤を描いた作品であります。
モナ・シンプソンという女流作家の書いた小説が原作で、原題が【Anywhere but here】。「ココ以外の場所なら何処でもいいわ」みたいな意味でしょうか。
要するに“青い鳥症候群”の母親とその娘の話で、娘からすれば早くそんな母親から自立したいわけで、娘の気持ちにも「Anywhere but here」的なものはあったでしょう。描き方によっては深刻なドラマにもなりそうですが、「スモーク 1995」のワンさんらしく、さらりと且つ繊細に描いてありました。
主演はサランドンとクレジットされていますが、映画は娘役のポートマンのモノローグが折々に挿入されながら進んでいくので、原作もそうだと思いますが、物語の主役は少女の方ですね。
オープニングが西部の荒野に延びるハイ・ウェイを黄金色のベンツが西へ向かって走っているシーンで、ハンドルを握っているのは派手な格好の母親。助手席にふてくされた顔の娘がいる。
母の名はアデル・オーガスト。ウィスコンシン州ベイシティ出身のバツ2。
最初の夫はエジプト人で一女をもうけたが、その娘アンが幼い頃に二人は離婚する。
あるクリスマスイブの夜、両親の言い争う声を聞いた後に、父親が兎の足を模した幸福のお守りを枕元に置いて家を出て行ったのをアンは覚えていた。
その後アデルは、地元でアイス・スケートのインストラクターをしているテッドと再婚したが、彼とも長くは続かなかった。「退屈なだけの男」、そうテッドを評すアデルだが、アンは優しい継父が好きだった。
そんな親子が何故西を目指して走っているのか?
美しい少女に成長したアンを女優にするのだと、アデルは故郷を後にして西海岸のビヴァリー・ヒルズに向かったのだ。アンには女優になる気など更々ないのに。
西海岸には実の父親が住んでいるらしいので、彼に会いたい気持ちもあった。何しろアンはまだ14歳。母を捨てて自活できる年齢ではなかった。母はカーオーディオからビーチ・ボーイズを流してスッカリ気分はカリフォルニアだが、娘は陽気すぎる音楽を聴いている気分ではなかった。
思い出をブリキの箱に詰めてプレゼントしてくれた従兄弟のベニー、いつも優しかったお祖母ちゃん、住み慣れた故郷が恋しい。
ビヴァリー・ヒルズの隣町の高校でスピーチの先生の職についたアデル。
まるで海辺みたいな格好の学生ばかりの新しい高校に通いだすアン。
故郷の親戚達がいつでもこれるような大きなアパートを借りるんだとアデルは威勢はいいが、料金の払い忘れで電気が止まるのも度々なのだった・・・。
芸能界へのデビューを夢見ている母親ですが、シャカリキに娘のお尻を叩いてという風ではなく母子家庭の微笑ましい苦労物語みたいな調子で語られていて、その母親に悪態をついてもそれが御尤もな内容なので娘のアンには同情したくなるし、とにかく可愛いナタリー・ポートマンと彼女の繊細な演技が収穫でした。
1999年のゴールデン・グローブで助演女優賞にノミネートされたらしいです。
17歳になったアンが大学進学を機会に母親から自立する道を選ぶところが最終シーンですが、ドラマ全体がそこに向かって組み立てられている風ではなく、そこに至るまでの小さかったり時に大きなエピソードが散文的に語られるスタイルで、映画的には味わいが勝負の作品でしょうか。僕がもっとずっと若かったら鑑賞後には原作小説を読みたくなったに違いありませんね。
お薦め度は正直★二つ半だけど、、ナタリー・ポートマンのファンのために★一つおまけしときましょう。
共演者について。
「ダイ・ハード」から11年後のボニー・ベデリアはサランドンの義理の妹(または姉)役。
男にも気の多いアデルが海辺で知り合う歯科医師とのエピソードがあり、助平ぇなその男を演じていたのは同じ「ダイ・ハード」でボニー・ベデリアの同僚で、でしゃばりのせいでテロリスト達に殺されてしまうエリスを演じていたハート・ボックナーでした。
・お薦め度【★★★=ナタリーファンには一見の価値あり】
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