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≪私のデジカメ仏≫

ー仏を中心としたフォトログを作りますー

9821anaのちょい旅 (東京・町田 3  町田ダリア園)

2014-09-23 13:05:19 | ウォーキング

 

 

東京 町田 3

 町田ダリア園  (町田市山崎1213-1)

 
  町田駅バスセンターから 鶴川駅行きバス 山崎団地行き下車 10分程歩きました

  
                                                              住宅街
大きな団地の中に こんな立派な ダリア園

   
 園に入ってすぐ 木立朝顔       数えきれないくらい沢山のダリア

   

  

    

昭和60年6月開園 障碍者の働く場として町田市が設置し、社会法人まちだ育成会「かがやき」が運営しています。 素晴らしいですね。

ダリアはキク科でメキシコ原産、江戸時代にオランダから持ち込まれ、独自の改良がされたそうです。

町田園は、二色咲き、絞り、ぼかし、花径30センチの巨大林輪、3センチのボンボン咲きまで集められています。
  ホントに見事でした。

来年も又 見せて下さいネ。 有難うございました。

 


                       


9821anaのちょい旅 (武相荘 旧白川邸)

2014-09-22 10:06:37 | ウォーキング

 

 

旧白川邸  武相荘

     (東京・町田市能ヶ谷7-3-2)  (町田編2)

 
白洲次郎の娘 内山桂子氏が 両親白洲次郎・正子と共に暮らした生家を2001年に記念館としてオープンさせた所です。  武蔵と相模の境 一ひねりした 無愛想 を掛けたものとか~

     
小田急線 鶴川駅より15分程                邸内の間取り図                                武相荘 外観 

    
         入口の 長屋門                    囲炉裏部屋には 焼き物・食器類が・・・              奥の部屋には 白洲正子 の着物類が・・・ 

 部屋・書斎・家の中・次郎の第2ギヤラリーもありますが撮影禁止でした。   

屋敷の周りは 散策路になっていて、自然が沢山でした。

   
          お地蔵さんや                 鈴鹿峠の石碑が有ったり   竹林が沢山 まだ鬼皮が剥け切れず 若竹がすがしい!    山リンドウ 紫が濃い!
   

    
   次郎の車 昭和20年代でお金持 洒落てますネ         ポルシェの置いてある休憩ところ 

「野人」と「韋駄天」世紀のカップル 

白洲次郎 (1902-1985)

 兵庫生まれ イギリスに留学 第二次世界大戦を当初から日本の敗戦を見抜き鶴川に移住。
 戦後、吉田茂に請われJHQとの折衝 「従順ならざる唯一の日本人」とされた。
 日本国憲法の成立に深く係り 政界に入らず、いくつもの会社経営にたずさわっていた。       
 晩年迄 上記のポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフを起こし、楽しみ
 自分の信条 シンプル を貫いた 83年 でした。

白洲正子 (1910-1998)

 樺山伯爵の次女 能に親しみ14歳で能の舞台に
 アメリカに留学 帰国後次郎と結婚
 「韋駄天お正」 と呼ばれる程の行動家 で銀座に店「こうげい」 を出し 古沢万千子などを育てた。
 自分の目で見て足を運び執筆する姿は修正かわらなかった。強い女性です。


9821anaのちょい旅 (東京・町田市野津田 霜月亭)

2014-09-20 08:15:57 | ウォーキング

 

 

町田市野津田 霜月亭

幼い頃事情があり、すこしの間 町田に居たので懐かしく行って見ました。
時が経っているので、面影はありませんでした。

知り合いの大正ロマンの洋館レストラン 「霜月亭」 で御馳走になりました。

古染付の食器 お箸 で頂く フレンチ で とてもお洒落でした。

 

   
 東名高速 横浜町田で降り16号を町田に向けて~           大正ロマンの洋館(懐かしい感じ)

  
         鮪のカルパッツチョ                コーンスープ  (ゴマすり身でシャレ)          クロダイのソテー野菜添えにフランスパン

  
      ひじきご飯となめこ汁 漬物                デザート (プリン抹茶味 巨峰 マンゴー 栗)

  
       染付にコーヒー                    シュガーボックス                      ミルク入れ

ゆっくり お昼を頂き いい気分で 川辺を歩いて
  
     原っぱやススキを見たり                     金木犀の香りに包まれ                ハナミズキの真っ赤な実に見いったり

   長閑な一時でした。 
   お箸で染付のフレンチ 気楽で美味しく頂けました。 日本人ですね。 有難うございました。


9821anaのちょい旅 (千葉の大仏 5)

2014-09-17 08:53:22 | 古跡 神社・寺 旅

 

 

千葉の大仏 5

 妙楽寺 (千葉県長生郡) 重文・大日如来像期間外の特別拝観)

  嘉祥年代(848~851年)慈覚大師の創建と伝えられています。
  (藤原仏により荘厳な世界が築かれ信仰の深さ、歴史の深さが感じられます。

  

 
近年迄は険しい男坂を登って大変だったそうです
 今は墓地の傍に駐車場が出来て平坦な道で行かれます


         普段は堂が開いていても格子越しにお参りします。 特別に中に入れて頂きました。
平安時代初めに慈覚大師円仁により創建された古刹で、大日如来を中心に不動明王毘沙門天の三尊をお祀りしています。

       
   多聞天(平安)      不動明王 (平安)              御本尊 大日如来            本尊を横から…

本尊 大日如来像は  カヤ材  木造り 一木割り矧(はぎ)造り 2.8メートル(思った以上に大きい)です。
                胎蔵界の丈六仏で県内でもっとも古く、東日本においても特別な大きさです。
                全体にふくよか、流麗な衣文は平安の中央様式
                太い腕、豊かな胸、黒漆の堂々たる重量感は東国の力強さがでています。
寄木造り ・・・・・・・  複数の木材を組み合わせてつくったもの。 平安後期よりはじまる。何人もの部分を分業で造れる。 
木割り矧(はぎ)造り・ 内刳りして木芯を取る
為、像を一度二つに割り、再びつなぎあわせる。 平安時代に盛んになる。

この工法が現代までの木造り彫刻の主流になっています。

仏像の巨大化。 大きな像を造るための材料の確保が容易になり、全国各地で丈六級の大きな仏像が造られるようになりました。

 分業が可能 仏像が大量生産できるようになりました。
 東大寺の南大門 運慶・快慶 の二王門像等 代表作でしょう・・・

  なかなか個人では、行きにくい所です。 本当に有難うございました。またご縁があります様に・・・

     

 


9821anaのちょい旅 (千葉の大仏 4)

2014-09-13 09:46:42 | 古跡 神社・寺 旅

 

 

千葉の大仏 (機岳山 海雄寺)

 釈迦涅槃像 (金銅)

       千葉県いすみ市

天正2年(1574) 
万木城がこの地区にあり万木城主 土岐為頼が永平寺開山和尚 昭灑鑑大和尚を招き中興開山されました。

全長      516センチ(15尺7寸)
顔の長さ   95センチ
頭の高さ   140センチ
肩の高さ   110センチ



首から上は立派で、胴から足にかけて、所どころに、湯廻りの不足の為穴があり、脚の当たりは銅版で補っている所あります。
全身を幾つかにの部分に分けて鋳造したようで、継ぎ目がずれています。

右手は太くて折り曲げて右頬を支えているが、二の腕と肩との間が破れいて、鉄の角材と鉄釘で腕と胴を繋いでいて、穴からみえました。

お顔は、豊頬円満 目鼻はっきり、半眼に開き、良いお顔です。

とにかく大きく オドロキです。 カメラにも1枚では入りきりません。 この時代こんなに金銅が良く調達出来たと思うと共に
 土岐氏の勢力の凄さが感じられました。

① 明治14年には、現在の寺の本尊として安置されたという説 と
② 首だけが造られて大八車に乗せて全国を勧募して歩き、浄財の志納の喜捨をあつめて、ようやく胴部分以下を造れたとの説。ありとの事。

平成2年3月「千葉県指定有形文化財」

現在は、土岐家17代 大介氏が 継いで居られるそうです。

  
       本尊 お釈迦様               土岐家のお祀りしている 仏像がいらっしゃいれました

   知らないこと多過ぎです。 又新発見の旅になりました。 有難うございました。