「日本人なら知っておくべき」
北朝鮮による拉致事件という題材が題材なだけに、日本人として観ておかなきゃならんなと思ってました。
ただし、政治的なアレを語ったりするのは本ブログの趣旨ではないので、あくまでも日本人がこの映画を観た感想文ってことで。
まず、結論から言ってしまうと我々が知ってる事実以上のことは語られません。当たり前って言えば当たり前だけど。
映画はまず、横田めぐみさんが拉致された当時を、夫妻をはじめ関係者のインタビューで振り返るというもの。
この当時は、まだ拉致事件が表立っていなかったので、記録映像などはほとんど残ってません。
その中でも、ほとんど唯一と言っていい映像が小川宏ショーの家出人捜索で、横田夫人がめぐみさんの帰りを訴えるというもの。
当時は、北朝鮮による拉致なんてものが想像さえできなかった、ってことが窺われる映像でした。
それから歳月が流れて……時間の流れを表現するのに、この映画では日本の四季を映すことが多かったんだけど、四季の流れの美しさと対照的に、家族にとってはなんともいえないモヤモヤとした時間だけが流れていったのでは、と思ったり思わなかったり。
そして、20年が経った1997年に北朝鮮による拉致疑惑が浮上して、拉致被害者による家族会が結成されて――このへんからはマスコミの露出も増えたため、記録映像も多く残っているし、オレの記憶にある光景もたくさんありました。
なので、このへんのことは省略。おおよそ、時間軸に沿ったものとなってます。
映画としては、北朝鮮が「めぐみさんのもの」という遺骨が別人のものであったという鑑定結果が出たところで終わり(ただし、遺骨を「別人である」と断定するのも難しいという注釈は付いている)。
家族会発足後の横田夫妻の映像はニュースなどでもよく見ていたけど、それとは違う、「オフ」の横田夫妻のインタビュー映像を観ていると、この映画が「引き裂かれた家族」の映画なんだなと思わされました。
夫妻がテレビに映ると常に政治的メッセージを発しているし、側には何らかの形で政治家が映り込んでいて、あまつさえ他人の選挙応援にまでかり出される始末。
どうしても、見るものは「家族会の横田夫妻」と見てしまいます。
でも、この映画のためにインタビューに受け答えする横田夫妻は、普通の老いた夫婦――娘の帰りをいつまでも待っている――であり、カメラの前でケンカさえしています。
30年前に小川宏ショーで娘の帰りを涙ながらに訴えた、あのころと変わってないとさえ思えます。
でも、いざ「家族会の横田夫妻」としてカメラに写るとき、早紀江さんは入念にメイクをし、「オシャレはしない」と笑う滋さんは髪をとかす。
自分の親や祖父母にも近い年齢の夫妻が、テレビカメラに写るために身支度をし、政治家に会うために東奔西走する、その姿はあまりにもいたたまれない――本人たちが望んでいるのかいないのか、それは分からないけれど。
でも、二人を駆り立てるのは「必ず娘は戻ってくる」と信じているから、なんだと思います。
政治的なアレは抜きにしても、やはり北朝鮮の無法ぶりは許せないです。
そのうえで金英男と家族が、北朝鮮で再会したシーンが入っていなかったのは残念でした。
「どうして、足並みを揃えられないの?」という、この30年間の苦労をぶちこわすやるせない虚しさってのが、より鮮明に伝わったんじゃないかな、と思ったりします。
とまあ、事件について知っている日本人はバックグラウンド抜きで、この映画を観れましたが、はたして外国人の目にはどう映っていたんでしょうか? 気になりますね。
『めぐみ 引き裂かれた家族の30年』(映画館)
http://megumi.gyao.jp/top.html
監督:クリス・シェリダン、パティ・キム
点数:5点(日本人にとって特殊な感情が混ざることを考慮して)
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