法事で初めての北海道。飛行機は久しぶり。一応海を超えたから「海外」気分?笑 。 しかし寒い。寒かった。JRの電車間引きで札幌で2時間待機というのがキツかった。
そこでおとなしくしてればいいものを、待ち時間に札幌ビール園に直行し、1杯だけのつもりが・・・(あとはご想像におまかせします)。しっかり風邪をひいてしましましたー。
さてさて、そろそろてつがくカフェの報告をしないと、暮れもやってきてまた違う忙しさになってしまいますので。
でも、今回はてつがくカフェが始まる前の準備の時間がとても濃密で、印象的で楽しかったんですよね(まだひっぱるか?)♥
DANさんの奥さまとの会話も楽しかったです。
私が今回DANさんとコンタクトをとり始めた経緯やお互いの震災当時のこと(奥さまは釜石のモスバーガーにいたそうです)。
お互い震災後それぞれの分野で、踏ん張って何かしら表現してきた事を話したり、『命の花』制作時の裏話をしたり。
私がDANさんの存在と、歌と生き方にショックを受けたこと。DANさんから到来した〈問い〉に捉えられてしまったこと。
皆が必死に実践知や情報知を探していた震災直後に、津波被災地釜石で「音楽」を通して何かを必死に伝えようとしている人がいたということに対する衝撃。全く違うことを考えていた人に対する驚きと好奇心。
言葉と音楽の<対話>を巡って。これが今回のてつがくカフェ@いわての着想とインスピレーション。
震災後2年半以上経った今だから、アーティスト、ミュージシャンでもあるDANさんと話せる、話したい、と思ったこと。
奥さまもこの釜石の映像を最近やっと見られるようになったとのこと。
第3子のお子さんは避難所で誕生日を迎えたとのこと。
やはり「当事者」でなければ伝えられないことがある、とのこと(「当事者研究」というのもあるそうです。例えば『現代思想』2011 vol.39-11 特集 痛むカラダ 当事者研究最前線)。
『命の花』をいろんな人に知ってほしいとのこと。これはDANさん自身の歌ではなく、当時の色々な被災者の思いをそのまま歌にしただけとのこと。できるだけ忠実に。写真のように。
今回、私は再度「当事者」とは誰か?という問いに戻された気がします。
思えば私が仙台のてつがくカフェに初めて参加したテーマが『当事者とは誰か?』でした。
哲学の問いはすべての分野領域に開かれていて、常識や前提を疑い、その根拠を問うものであります。哲学には問うてはいけないタブーな「問い」はないことは皆さんも賛同されると思います。例えば以前高校生が「何故人を殺してはいけないか?}と問いを投げ、物議をかもしたことは記憶に新しいでしょう。
しかし、かの問う人「ソクラテス」もそうであったように、哲学の問いはラディカルであるし、そうあるべきなのですが、通説を覆すのですから、動揺・混乱させるものでもあり「危険」でもあります。
私は仙台で問われていた、この問いにショックを受けました。この「被災者とは誰か?」という「問い」は「当時」の沿岸地域だったら立ち上がらないと思ったからです。内心思っている人はたくさんいたとおもいます。同じ宮古市でもにももちろん著しく被災状況の違いがありましたし、皆が被災状況の大小で心づまり、申し訳なさ、我慢などさまざまな思いを抱え、それを問うことも説明づけることも不可能でした。
つまり、このような「問い」を立てているのはどのような考え方をしている人たちなのか、ということが私のてつがくカフェの出発点でした。
本題になかなか入らないですが、このような記憶の思い出し方でアウトプットしないと書けないタチなのでご勘弁を♥(ゝ。∂)。
またまた続く・・・・(加賀谷)