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第5回てつがくカフェ@いわて レポート②

2013-07-12 09:59:29 | レポート

レポート②2012/07/13

例えば、近代における学校(特に小学校、中学校)制度、PTA、町内会、お祭り、地元商工会、教会、寺、企業・・等々。その中でも日本は(西欧における教会の代わりに)「学校」を中心としたPTA,町内会に共同体の機能が集中化しているのではないか?という意見が出されました。

 

その理由は子どもがいない夫婦や独身者は地域社会で何等かの活動に参加しようと思っても、なかなか見つけられなかったりその機会がないという事実を根拠として挙げていました(ちなみに町内会は元々は日中戦争の頃から日本各地で組織され始め、太平洋戦争の戦時下に大政翼賛会の最末端組織として1940年に市には「町内会」、町村には「部落会」が国によって整備されたのが起源であるとされるようです。回覧板などは戦争当時、思想統制のために使われていたツールだったようです!)。

 

その他本家-分家-檀家制度などで強力に結び付いている「共同体」が存在する盛岡のとある地域の例、純粋な利益追求のために結び付いた企業規模の例では、日立や福島における東京電力(企業城下町と言われるもの)など「共同体」の例がそれぞれの言葉で語られていきます。

 

こうすると、最初の問題提起「震災前から共同体は破壊されていた」というが、それは具体的には身近ではどういう事なのでしょう? 「現代の若者は安定志向、地元志向というけれどそれは本当か?」という問いかけに対し、会場にいた大学生は、その原因に不景気から来る「雇用問題」や地元の親の心配をなどを挙げていました。しかし地元志向といっても町内会に参加するわけではないし、地元商店街に行く代わりに「イオン」に行き、ではコミュニティーがあるのかといえば「同窓会」などやはり学校を介したものに限られると発言されました。お祭りも人が集まるための装置だという方もおられました。

 

 
「共同体」が崩れている他の例として、町内会の会長をしている方は、町民の3分の1が大型マンションに住んでいて、プライバシーの保護と称して表札を掲げないなど、従来の共同体の最低の基本が崩れている、とおっしゃっていました。


 町内会といえば、震災後水や炊き出しの供給時に町内会に属していない(町内会費を払ってない)人には供給されなかったなど、共同体は「内」に属す成員にはオープンであることが求められるが、「外」は排除するという性格があるという共同体の「排除」性というキーワードが出てきます。共同体の境界線は普段意識されませんが、震災などのような非常時に境界線が危うくされるとき、その排除性は露呈され可視化されます。

 

この「集まる力」の中に原理的に排除の力が内包されていて、逆も然りで、排除する力が「集まる力」を生み出すとも言えると思います。戦争などで通常意識されなかった外部の脅威を感じると、境界線を画定するように、共同体と別の共同体同士の出会い、衝突以前には共同体なるものは意識されなかったかもしれません。

(加賀谷)

 



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