「主よ、あなたの耳を傾けて、私にお答え下さ
い。私は苦しみ、かつ乏しいからです。」
「主よ、わが祈りに耳を傾けて、わが懇求の声
を聞いて下さい。」
「わが魂を陰府(よみ)の深い所から助けられま
した。」
ここから「旧約聖書1日1章」(榎本保郎著)
からです。
詩編には、助けを求める祈りの歌が多い。
神に助けを求める者の、うめきや、求めが、
至る所に記されているのが聖書であり、その様
に神に助けを求めていくのが、私達の信仰生活
である。
この詩人の祈りは、この地上で、神のみこころ
を求めて一生懸命な生き方から来た叫びである
。
おおかたの者が神を求めようとしない。
神を尊ばない、この地上の生活で、自分は、
あくまで神のみ旨を大切にし、たとえ、それが
どんな損な生き方であろうと、その神のみ旨に
従って生きようとする事は、とても人間的な
力だけでは、全うし得るものではない。
そこから、自ずと生じてきた叫び、それが
「あなたの耳を傾けて、私にお答え下さい。
私は苦しみ、かつ乏しいからです。」という
祈りになったのである。
だから、ここに出ている苦しみ、乏しさは単に
、この世に苦しみがある、乏しいというのでは
なく、神のみ旨に従っていこうとする時に、
この詩人の生活にまで及んで来た事をしらなけ
ればならない。
私達は、自分の生活に及んでくる程までに、
神の言葉を受け入れているだろうか。
そこで、生活費の全部を捧げた、やもめを称賛
されたのである。
生活にまで及んでこない世界で、どんなに熱心
に聖書を学んでも、それは主イエスの見ておら
れるところでは、ないのである。
黒人霊歌に
「私は、あなたの為に、傷ついたけれども、
おまえは、私の為に、どこに傷があるのか」
「私は、あなたの為に、33才の生涯を投げたが
おまえは、私の為に、何を投げたのか」
という意味のものがあるが、この神の愛の迫り
を受け何とかして、答えていこうとするならば、
応じられない自分の弱さを知り、助けを求めず
には、いられなくなるはずである。
***************
エホバの証人や、統一教会の様に、信者に
家や、土地、財産を売り払わさせ、会館や、御殿
を作るのとは、全く別です。