「静まりと黙想の朝に」より、ご紹介します。
弟子たちや、一般の民衆に与えた主イエスの
業は強烈であった。
「人々は皆、神の偉大な力に非常に驚いた」
(9-43)とあり、「みんなの者が…数々の事を
不思議に思っている」ともある。
弟子達は、先の信仰告白と共に、主イエスこ
そメシア(キリスト)であると思っていた。
ところが、主ご自身からは十字架の予告である
「彼らは、この事を悟らず、わきまえない様に
隠されていた。又、この言について問う事を恐
れた」 (9-45)
弟子達は主イエスはメシアであるとの確信は強
かった。そこで、ユダヤ王国政府が樹立された
時には、「誰が一番偉いだろうか」との論争が
弟子達のうちに起こったのである。
(誰が右大臣、それが左大臣…)
これは、主イエスにとっては悲しみであった
。弟子達は、十字架の真意を理解せず、地上の
権力を求めていた。
偉いメシアに付けば、高い地位につけると。
そこで、イエスは幼児を、ご自分の前に置き、
「私の名の為に、この幼児を受け入れる者は
私を受け入れるのです。…あなた方の中で
一番小さい者こそ、大きいのです」と言われた
真の天的な偉さは、謙遜になる事である。
その極みに行かれたのが主であった。
へりくだられた主イエスに従う者となりたい。
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「自分の命を救おうと思う者は、それを失い
私の為に自分の命を失う者は、それを救うであ
ろう。
人が全世界をもうけても、自分自身を失い又、
損したら、なんの得になろうか」(リカ9-34)