聖書と共に

あなたのみ教えの内にある奇しい事

今日は、「岩から出る蜜」(蔦田二雄著)から、
紹介します。

「幸いなことよ。」(詩編119)
これは常に神の私達にたいする御思いであって
「みことば」を主眼とした本編が、これで始ま
り、主の山上における説教も、このみことばに
よって始められている事は意味がある。

 神の恵み深い御思いを、わきまえながら、
私達は祝福の軌道に歩まなければならない。
そして、その軌道に歩むためには、事情により
種々の働きをする「みことば」が与えられてい
る。

 私達の祈りも「私の目を開いてください。
私が、あなたの、み教えの内にある奇(くす)し
い事に、目を留めるようにして下さい」である

 神の戒めには奇しい宝が埋蔵されている。
その実体はどうであろう。主は、
「その聖書が私について証言しているのです
              (ヨハネ5-39)
と仰せられる。
私達は、みことばの鉱脈を堀り当てて、生ける
キリストに行かなければならない。
そこに至るまでに種々の教訓や興味深いことも
あるが、途中で、それらを、もてあそんでは
ならない。

 聖書のどこから分け入っても源泉(キリスト)
に届かねばならない。それには、まず、霊的
開眼が必要である。
 霊的な人とは、霊的思想の豊富な人ではなく
生けるキリストの把握者を言う。
これは、時をかけて、みことばに親しむ事に
よってだけ得られる霊的資質である。


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