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シロガネの草子

「我が身をたどる姫宮」 其の18 

鏑木清方 『清流』

 皇嗣殿下のお誕生日に先立ち例年の記者会見は、お誕生日の数日前というのが、慣例となっていました。宮殿下の時は、一週間位前という事もあったのですが、皇嗣・・・・日嗣の皇子のお立場に成られてからは、その前日か、その前の日か、ともかく早くなったのでした。

 今回はお誕生日の前日という事に決まりまして、皇嗣殿下は、宮内称の記者や共同通信社の記者等の質問の受け答えの準備や、おしゃられるお言葉の内容をいつものように妃殿下を聞き役になさり、実際におしゃられるのでした。以前でしたら、妃殿下のお言葉も殿下が、聞き役となられて同じように、なさっていたのです。

 その場に姫宮様方や若宮様もいらっしゃり、宮様方が、記者の役になり、ご両親殿下方に「質問」されて、そして両殿下が、お答えになられる・・・・そんな風に、なさりまして、お子様方が、アレコレと「ダメ出し」したり、「感想」を述べたり、ご自分方に関しては、「ここが違う、おもう様の記憶違い。おたた様、それは、違う、こうだった」等と言われたりなさったりして和気あいあいとした雰囲気で、練習なさって当日に備えられていらっしゃるのでした。

 お子様方を聞き役となさるのは、もちろん将来に備えられての事で、当然、姫宮殿下方のご成年式の記者会見のさいは、ご両親殿下が聞き役となられて、アレコレと「ダメ出し」なさったり、感想を述べていらしたのでした。

 妹宮・・・二の姫宮殿下のご成年式の記者会見も同じでした。その時、二の姫宮殿下が母宮様のことに関して


「母は週刊紙等で色々と言われていますが、私たちの前ではいつも明るく前向きで・・・・」

というお言葉が、大きな話題となったのでしたが、その言葉を「練習」の時から、母宮様・・・・妃殿下は大変困惑なさって・・・・・


「そんな風に言わなくてもいいのですよ。私の事よりもっと別の話題を言ったら・・・・・」

そう幾度かおっしゃたのですが、二の姫宮殿下は、


「あれだけ、おたた様が悪く書かれて家族が『知らぬ存ぜぬ』で通すなんて、『一般』の家族では、あり得ないはずよ。おじじ様たちがおしゃる『国民に近い』皇室と言うなら、娘として私はそのまま『無視』で通すなんて出来ない。私の言う言葉に『嘘』は無いわよ」

山川秀峰(やまかわ・しゅうほう)『序の舞』

そう強く言われまして、そのまま『押し通された』のでした。



・・・・・・・皇嗣殿下は、その場には、いらっしゃいませんでしたが、妃殿下や二の姫宮殿下からもその時のやり取りをお聞きになられていました。その時、皇嗣殿下は・・・・・・



「二の姫宮の、言う通りにしたらいい」

 とおしゃたのでした。二の姫宮殿下とは、かなりの「大喧嘩」をなさる間柄なのでしたが、基本的には「思いやりのある優しい子」であると日頃から思われていたのです。



 それとご自身似ている所(お気の短い事?)がありますし、父と娘との関係が落ち着かれた今は、親子関係は親密な間柄となっていました。

 あれから数年の年月が経ちました。その間は御代が新しく代わり、ご自身のお立場も変わり、一の姫宮様・・・・ご長女は嫁がれてゆきました。


 そのご結婚は、ご自分達のご教育の結果と、言われ続けましたし、ご自分でも姫宮様のご結婚を止める事は出来なかった事に対して、深く自責の念を感じていらっしゃるのですが、正直本当に・・・・・大変な事でした・・・・・

 一人の父親としては、娘の幸せを願っていたのは、嘘偽りのない事実でした。しかし、その相手は自身に降り掛かった、トラブルに対して『誠意』を持って応えるという事は最後まで、見せることは在りませんでした。少なくとも、ご自分は、お相手に対して、その行動を取られたとは、思えませんでした。


ご自身の娘である、姫宮様が一体、何を見ているのか分からない時があり、様々思い悩まれて、寿命が確実に幾年か減ったのを皇嗣殿下は感じているのです。


 世の中も大きく変わりましたが、しかし又大きく変わるのでは・・・・・とご自身良くお考えになられているのです。


『備えあれば憂いなし』と、妃殿下を『休養』させるのは、ご体調の事だけでなく、万一の事態に備えられる意味もあるのでした。



島生園(しま・せいえん)『香のゆくえ(武士の妻)』


「おもう様、それでは、おっしゃて」

 皇嗣殿下は、『例のお言葉』の部分だけは二の姫宮殿下を相手に練習されるのでした。妃殿下が『若宮殿下のお勉強』をみてあげている間にです。若宮殿下が、「おたた様に教えて欲しい」とおっしゃいましたので。


「あとは当日、おもう様がおっしゃる事全部、お伝えになられればいいだけね。それとちゃと相手に伝わる位のお声の大きさでね🎵ねっもうそろそろ、おっしゃるお言葉、用紙に書いたのを、机の前に置かれたらどう?」



「自分の言う言葉、しかも自身で考えた文章をわざわざ見ながらいうほど、おもう様は、年老いていないよ。まだまだ若いお前には負けないさ」


お互いにそんな事を仰られるのでした。

 明日は、記者達が皇嗣邸を訪れて皇嗣殿下のお誕生日に際しての「お言葉」を質問(あらかじめ決められた)をしながらするのですが、記者達の関心は、一の姫宮様のご結婚とその後の生活ぶりやご夫妻と皇嗣ご一家の交流、それと妃殿下の週刊紙等のバッシング。

 そしてお上と皇后様の女一宮殿下を差し置いて、皇嗣ご夫妻が強く主張されてという(伝聞)、二の姫宮殿下が皇嗣妃殿下の次の位置、つまりは内親王の筆頭となった経緯等。


 記者達もどこまで、マスコミ嫌いとも言われる、皇嗣殿下が、言われるのか、関心があり、もう週刊紙等では、いろいろな憶測の記事が出ています。


 若宮殿下は、姉宮様の結婚問題が大きく取りあげられて、いろいろやかましく週刊紙などに書かれるようになられてから、関心が出てこられたのか、皇室に関する記事を読まれ始め、ついにはその記事を切り抜いて、ノートにのりで張り付け始められました。


 ご自分が物心つく前から父宮様とご自分に仕えている『仕人』に手伝ってもらい、二週間ごとにその作業を行われているのでした。週刊紙は、女性誌は、奥の侍女達が、その他のは表の職員達が読みますので、それを集めて、ご自分でも目を通されてからノートにまとめて張り付けられるのでした。


 皇嗣ご夫妻も『何故そんな事を』と不思議に思われて、又いろいろと皇嗣家が批判的に書かれていますので、若宮様が、それを読んで心に傷を負われるのではないかと、ご夫妻の世代で言う『硝子の十代』といった所ですので、大変な心配されたのです。そして、やんわりと「そんな事をしなくてもいいのだよ」「たた(おたた様の略語)は、何を書かれても平気ですよ」と幾度か若宮様をおたしなめになられたのでした。

しかし若宮様のお返事は・・・・・・


「おもしろいからです」


・・・・・・で、基本的にさしたる気にもされず、しかし記事の内容によっては流石に時々憤慨されながらも・・・・・

切手を集める感覚でなさっているのでした。若宮様が、まとめられたノートを皇嗣殿下は、ご覧になられるのですが、上皇后様も同じく、ご自分が書かれた記事を中心に皇室の記事、及びご自分が主役と言って差し支えない「皇室番組」も全部ご覧になられていますので(現在も・・・・・)その血筋であろうかと、思われて、妃殿下に


「変なところが似てしまったよ」

と言われて苦笑いなさっているのでした。妃殿下は、上皇后様が『意地を張って』日頃余り若宮様を可愛がられているという風に見えませんので、それでもこういう所は、やはり血は争えないものだと思うのでした。


 若宮様は、実の祖母の上皇后様がお従姉の女一宮殿下ばかり、ひいきになさり、ご自分よりもはるかに、可愛がられて慈しんでいらっしゃるのは、幼い頃から御存じでしたが、しかしその事に不思議に思われても、別段気にもされていらっいませんでした。


 ご自分が生まれてからずっと一つ屋根の下で家族同然に接している御用掛の老女の唐糸(76歳)。そして事実上の老女で、奥向きを差配している老女次席の花吹雪(64歳)。この二人との間柄とはもう孫と祖母といった関係なのです。

 又妃殿下のお里の妃殿下のご母堂は、孫のなかでただ一人の男の子の若宮様を遠慮勝ちながらも、「可愛くて仕方がない」という態度で若宮様に深い愛情を注いでいますが、(結構、若宮殿下を甘やかしてしまいまして妃殿下よりお小言が・・・・・)それは姫宮様方も同じでした。


しかし若宮様はとりわけという風なのです。


 上皇后様は、若宮殿下に対して、そんな態度を「意地を張って」とられても、院と若宮殿下とは、大変良好の関係で、若宮殿下も院に対しては深い敬愛のお心を抱いているのです。


 院は、いずれ天皇となられる若宮殿下をいつも気にかけておられて、若宮殿下とお会いされる度に、いろいろと将来に備えられてのお心構え等を教えられるのです。


 若宮殿下とのそのようなご交流が、院におかれては、張り合いがお出になられて、一日でも長くこの世にと止まり、そして若宮殿下のご成年に行われる「加冠の儀」をしっかりと、見届けられて若宮殿下のご成人なされたお姿をぜひこの目にご覧になりたいと常に思われていらっしゃるのでした。



 皇嗣殿下のお誕生日の夜は、本来なら皇嗣邸で、祝宴が行われるのですが、院のご希望もあり、仙洞御所で行われるです。

 その日、お誕生日の記者会見の時は、妃殿下は、院の女一宮殿下とご一緒に、外出されていました。いつもは皇嗣殿下のお誕生日の記者会見のさいは、もうご自分がお出にならなくても、皇嗣邸に大勢人は、来るのですから、いろいろと差配する事や、古くから皇室を担当している記者にお会いされれ、その時の皇嗣殿下の御様子をそっとお聞きになられたり等されるのです。

 しかしその日は、二の姫宮様と院の女一宮様が前々から強く、東京で開催されている、著名な染色作家やそのお弟子さん達が制作された天然の染料で織られた着物の展示会を是非、「おたた様」、「お姉様」にご覧になって頂きたいと進めらていたのでした。

 最初はこの日もこの日でしたので、お気が進まれないご様子でしたが、世間の評判の良くない自分が居るよりはと考えられて、二の姫宮様を皇嗣邸を任せて、夜までお留守となさっさのです。

 体調による感情の波風は、一の姫宮様がご降嫁の後でもあり、姫宮様のご結婚等で、ご自身相当堪えてしまわれ、気が滅入っておられたのでした。



 院の女一宮様に悪いとは、思われても、心優しくとも、しっかりとしたご気性でいらっしゃる、院の女一宮様に愚痴をこぼしたく、またはっぱをかけて貰いたくて、お夕食も院の女一宮様のお住まいで、済ませられたのでした。

自然から生み出した美しい色彩の数々のお着物をご覧になられた事や、


以下は参考画像です。











栗原玉葉口絵作品 『秋の上野』

 昔からお仲の良い、院の女一宮様とご一緒にこころゆくまで過ごされましたので、妃殿下も大分お心が軽くお成りになられました。


 そしてお帰りの後は、明日の皇嗣殿下のお誕生日の支度や準備等を妃殿下は張り切って、職員達(居残りの)に指揮され、進められておられました。


高畠華宵挿し絵 (中将薬は当時の婦人薬です)
 一方、その日の記者会見の皇嗣殿下のご発言が、大きな波紋をよんで、記者達を大きくざわつかせ、次の日をまたぐ24時には、最初はネットで、皇嗣殿下のご発言がトップで取り上げられていたのです。

 しかし明日の、皇嗣殿下のお誕生日は又一段と忙しく、また妃殿下は基本的に夜更かしはなさらないので、『ご発言』は当日まで見事に御存じありませんでした。

明治に来日した『アメリカ人』の描いた油彩絵です。


「私はもちろん、スマホで直ぐ知ったわよ。夜更かしは私のライフワーク??ですもの」 by皇后陛下


「フフフフフ・・・・(ニッコリ)面白い事になったわね」 by皇后陛下

其の19に続きます




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