![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a0/85edfa25fbf42d4d3d82c0389d8f3871.jpg?1657830747)
須藤しげる 『冬子』
聖上(おかみ)の母宮でいらっしゃる大宮(おおみや)様が、新年早々から皇嗣邸にお出でになられるという知らせを、松枝の仕人から受けた白菊夫人は小走りで松枝と一緒に邸内に戻りました。
昨年念入りに大掃除をご一家や職員総動員でしましたので、ご一家が留守中に大宮様が突然来られても、何も恥ずかしい事はありません。
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高畠華宵挿絵
しかし御用地内のお庭伝いとは故、こうして急に来られるとなると、それ相応の対応をしなければなりませんから、奥の職員は忙しく動いておりました。
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鏑木清方
新年という事で、奥向きの職員も新年の挨拶が済むと、自宅に下がる人達も居て、人数が少ないのです。
夫人は奥向きの玄関より入りましたが、出迎えた老女の花吹雪に
「花吹雪さんご苦労様。今、何人残っているの?」
「はい、わたくしを含めて四人で御座います。唐糸さん小島さん白浜さん涼風さん達はもう下がりました」
花吹雪は松枝の仕人に
「松枝さん早く、松波(しょうは)さんの手伝いをしてきて」
そう声をかけると、松枝は「あっはい」と言うと大急ぎで中に入ってゆきました。夫人は
「大宮様はお供の方をお連れにならしゃるでしょう。少ない人数だけど、お供の方々のお相手を頼みます」
「はい。それと恐れながら大宮様にはお供の典侍さんにも何でもご用を言い付けて、結構です。とのお言付けが御座いましたが、新年のお忙しいなかのお出ましであらしゃいますから、典侍さんも大変でしょう。わたくしどもで、ささやかながら、おもてなしを致したく、存じます」
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やや皮肉めいた言葉を言う花吹雪ですが、内心ではこんな事を早々となさる、大宮様に本当に腹が立っていました。知らせない訳にはゆきませんので、皇居へ行かれた皇嗣両殿下に知らせましたが、皇嗣妃殿下の心中を思うと、とても気の毒に思うのです。
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上村松園
米寿を迎え大分お気が短くおなりで、何かあると、妃殿下を呼び出されるか、こうして御(おん)自らこちらへと、お出ましになられるのです。恐れながら聖上の御母宮でいらっしゃるうえ何事もお気が付き、大層繊細なお方で御座いますので、迎える側はかなり神経を使うのです。
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吉村忠夫 『徳大寺左大臣』
その点、何事もおおらかで、自由な御心を御持ちの皇后陛下とは違います。
『レット・イット・ゴー~ありのままで~』
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降り始めた雪は 足跡消して
真っ白な世界に 一人のわたし
風が心にささやくの
このままじゃダメなんだと
戸惑い 傷付き
誰にも打ち明けずに 悩んでいた
それもうやめよう
ありのまま 姿見せるのよ
ありのままの 自分になるの
なにも怖くない 風を吹け
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少しも寒くないわ
悩んでいたことが 嘘みたいね
だって自由よ 何でも出来る
どこまでやれるか 自分を試したいの
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そうよ変わるのよ 私
ありのままで風に乗って
ありのままで 飛び出してみるの
二度と 涙は流さないわ
冷たく大地を包み込み
高く舞い上がる 想い描いて
高く氷の結晶のように
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輝いていたい もう決めたの
これでいいの 自分を好きになって
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/2e/69c76e2278d2ef4ee2abcc06b5bc7747.jpg?1658577030)
これでいいの 自分信じて
光浴びながら 歩きだそう
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少しも寒くないわ
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この歌を地で歩まれていらっしゃる皇后陛下に恐れるものは何もありません。
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大宮様
「ホホホホ・・・・」
「ホホホホ・・・・」
白菊夫人の結婚とその後のゴタゴタ振りにはとても繊細なお心で慈愛深いの大宮様は、大層お心を傷められて、夫人が帰国されてから、なにくれとなくお心遣いなさっておられました。それが週刊紙の話題のネタなって見出しに大文字で載っていたりしているのです。あたかもご自分がこの結婚騒動の被害者であるように。
しかし、本当の事をいえば、夫人と根無葛(ねなし・かつら)氏の結婚には一枚も二枚も噛んでいたのは、周知の事実でした。もしこの結婚が何事も無く、上手く進んでいたら、そのお手柄は全て当時の皇后陛下という事になっていたでしょう。
しかしこの結婚は皇族としてあるまじき有り様となりました。そして夫人は身も心もズタズタになり帰国し、この結婚は終わりを告げたのです。
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高畠華宵 『香炉の夢』
その責任は全ては佐義宮両殿下の子育ての原因とされたのです。最も、一番の原因は、結婚する当事者同士の心の闇であったのですが。
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中村丘陵 『童唄』
『まっくら森の歌』
ひかりの中で 見えないものが
やみの中に うかんで見える
まっくら森の やみの中では
きのうはあした まっくらクライクライ
さかなは空に ことりは水に
たまごがはねて 鏡はうたう
まっくら森は ふしぎなところ
朝からずっと まっくらクライクライ
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みみを済ませば 何も聞こえず
時計を見れば さかさま周り
まっくら森は こころのめいろ
はやいはおそい まっくらクライクライ
どこにあるか みんな知っている
どこにあるか 誰も知らない
まっくら森は 動き続ける
ちかくて遠い まっくらクライクライ
ちかくて遠い まっくらクライクライ
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鰭崎英朋 『月に立つ影』口絵
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/56/7e8cf930a902239d62b7bfd065bfa88d.jpg?1658336889)
夫人はもうすぐお越しになられるだろう大宮様を玄関から迎えようと、畳に座ろうとしましたが、老女の花吹雪は
「宮様はお居間のほうで、大宮様をお迎えを。わたくしがこちらでお迎え致します」
そう言い、こちらで迎えると言う、夫人を無理にお居間に行かせました。
夫人がお居間に行くと、座布団等が大宮様がお座りになられるように配置されて、障子もカーテンも大宮様が何時こちらに来られても良いように、日差しが丁度気分良いように差すよう開かれていました。居間に飾られた活け花もこれは昨年のうちに活けられたのですが、心なしか、大宮様がご覧になられてもお小言を頂かないように、また一段と美しく整えられているようでした。
主が留守中に、高貴なお方をお迎えをするのですから、恥をかく事がないよう、花吹雪達は気を緩めること無く、見事にしつらえを整えました。これは世に聞こえ高い、妃殿下のご指導というよりも、奥に仕えるものの意地なのでした。
夫人は自分用の座布団に座りましたが、祖母の大宮様のお越しに成られる事を気にしていました。
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鰭崎英朋 『姫様阿辰(おたつ)』口絵
内玄関の畳に座っている花吹雪の耳に電気自動車の音が聞こえました。車は玄関の前に止まると、大宮様が降りて来られました。先に降りた典侍が、大宮様のかえ添えをしておりました。大宮様も米寿を迎えたのを気に杖を使われるようになっておりました。
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甲斐庄楠音 『横櫛』
車は二台で、後ろの車からは、側近が降りてきました。
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鏑木清方
(ずいぶん大勢連れて来たものだ)と、花吹雪はおもいました。
「花吹雪さん、ご機嫌よう。新年早々から、お邪魔して申し訳ありませんね。白菊ちゃんが、一人でお留守番なさっていると、聞いていたものだから、ばばは心配になって、押し掛けてきてしまいました」
(本当に新年早々から押し掛けて来られた)と花吹雪は心のなかで、呟きながらも、にこやかな表情で、
「お揃い遊ばして、ご機嫌よう。上皇さんにも大宮さんにもお触りなく、新年お迎えならしゃいまして、おめでとう、かたじけのう、恐悦至極に存じ奉ります。恐れながら、宮様にも大宮さんお越しにならしゃる事、大層お喜びさんで、御座います」
流れるような、御所言葉で大宮様に新年のご挨拶をする花吹雪でした。
大宮様は頭を下げて挨拶する、花吹雪の締めている向蝶に立涌文の帯という申し分のない、有職文の帯をじっと観察するように眺めて、挨拶の終わった花吹雪に
「花吹雪さんいつも良いおもじ(帯・御所言葉)を締めてらっしゃるわね」
「西陣?」
大宮様の問いに、
「多分そうで御座いましょう。祖母の者で御座いましたから、詳しい事は分かりませんが」
大宮様はニコニコされて、
「きっと西陣よね。立派な、おもじですもの」
「恐れ入ります。お居間へご案内致します」
花吹雪は、ここで話が長くなってはと、大宮様を夫人のいるお居間へとご案内しました。
大宮様は杖を玄関に置かれると、ゆっくりと静かに歩き始めました。そのお姿は流石としか言いようもない、神々しいものがありました。しかし大宮様は何時ものように、周囲を見渡して、
「みーや(皇嗣殿下の愛称)と清(きよ)ちゃん達が、世間の非難も気にせずこれでもかと、お金をつぎ込んだ、お屋敷ね。ホントに何時見てもお見事だこと。畳もまだ新しいから、薫りが素晴らしいわ」
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などと仰りながら、畳廊下を歩かれていました。前を歩く花吹雪の着ている梅鼠(うめねず)色の付下お召のチェックも忘れておりません。
「恐れ入ります」
後ろの大宮様の視線を痛いほど感じながら、花吹雪は大宮様の方をチラリと見て答えました。
大宮様はお顔は真っ白にクリームを塗られて、眉はハッキリ黒々と二本に描かれていらっしゃいました。口紅も真っ白いお顔に対比するように、真っ赤に塗られておりました。
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大変な厚化粧ですが、深い皺を隠すというよりも、お眉がどうしても二本に繋がってしまうため、それを何とかする為に、昨年からこう言う分厚いお化粧になさったのでした。
(横浜メリーみたいだ)
参考・横浜メリー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/bc/d84633f14bb9ed92ba1f7d14534ef8c2.jpg?1658312043)
と、何時も花吹雪は思うのです。かつてあれだけお美しかったお方ですから、老醜は隠せるものなら、覆い隠したいと、大宮様は思われて、そのようになさっているのでした。皇后陛下の時よりも、ご自分に正直になられていらっしゃるのは、事実です。
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横浜メリー
大宮様が、お居間に入られる時、残った奥の職員達が畳に座って、頭を下げている姿を見て、
「ご機嫌よう。新年から忙しくさせてしまって、すみませんね」
と、慈愛に満ちたお言葉をおかけになられました。そのお言葉に感動する職員はいませんでしたが、お声は透き通るように気品に満ちて、やはりこのお方はただ者でないと、皆思うのでした。
「ご機嫌よう、白菊ちゃん」
「ご機嫌よう、おばば様。わざわざのお越し恐れ入ります」
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鏑木清方
夫人はそう言うと、頭を下げられました。
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高畠華宵 『真澄の空』