響鬼の特徴は、やはりその存在の「正しさ」だと思う。
響鬼の世界でいうところの仮面ライダー(鬼)とは、
望めば誰でも変身できる存在なのである。
ただそのためには、強い決意と信念をもって、鍛えて鍛えて、
ライダーになってもなお、鍛え続けてまっすぐあらねばならない。
だから、そこには
戦うことを厭いつつ戦わざるを得なかった、「クウガ」五代くんや
戦う力の代償に命を賭けたゲームに参加させられた、「龍騎」真司くんのような
歪みや迷いがないのだ。
鍛えて、鍛えて、鍛え上げて得られた「力」
47話でヒビキさんが鬼に変化せずその力を使うことができたように、
それは闇から借りるのではない、自分自身が努力の結果に得た、正当な「対価」なのだ。
響鬼は、自らを「鬼」と呼び、複眼を持たない異形の相をしていますが
仮面ライダーの中ではもっとも秩序(Low)に寄った存在なんですよね。
うん、歴代ライダーを秩序(Low)と混沌(Chaos)の軸で並べたら面白いと思うだけど、誰かやりませんか?
人それぞれの解釈もあるので難しそうですが。
私の中では、響鬼はLowのてっぺん、クウガがLow寄り、Chaosの端っこが剣ですね。
一人のアンデッドを救うために地球上の生命体全てを危機に晒すとか、無茶だぜ(だがそれが良い)
しかしそもそも。
「宇宙の平和のためによその惑星まで来て命張って戦うウルトラマン」はLowで
「闇から生まれ、同族殺しの宿命を背負って戦う仮面ライダー」はChaosという印象があり、
そういった意味で響鬼は、仮面ライダーとして異端と言えるかもしれない。
ただ、ライダーは作り手自体が「今まで作り上げたものをぶち壊す」っていうChaos発想なので
Chaos × Chaos = Low、みたいな?
マイナス同士を掛けたらプラスになったぜ!みたいな?
うーん、自分で言っててよくわからなくなってきましたが。
ともあれ。心の底から「鬼をやりたい」と思ってる人だけで戦うとことか、
「猛士」という組織のバックアップがあって、シフト制で、生活の保障がされてるとことか
能力的に問題が生じた時点で引退し、以降は支援サイドとして生きる道があるとことか、
一仕事終えた鬼たちが軽口叩きながら帰るところとか、
もうね、「ザ☆安定」って感じじゃないですか。それが良かった。うん。
しかし、そういう作りが子供達に受けないっていうのもわかるし、
一方。リアリティーを追求したクウガとか、謎解きに特化したアギトとか、善悪ごちゃ混ぜにした龍騎とか
敢えて子供向けに作らないことで、子供達からの支持を集めてきてた実績もあるわけで、
だから、響鬼の渋い作り方も間違ってた訳じゃないと思うし、
でもやっぱり地味だったかぁ、とも思うし。難しいもんですね。
で。「中盤からの路線変更」
Wikipediaを読んだので、後半は井上先生が好きなように書かれてると思ったんですけども、
意外と。意外と響鬼の世界をキープしてたのが驚きでした。
だって、響鬼の世界には井上先生が大好きな「悪党」が存在しないから(苦笑)
唯一、変わったなという印象が強かったのがヒビキさんのキャラ設定なんですが。
個人的な印象ですが、後半のヒビキさんは、井上先生ご自身に雰囲気が似てるんじゃない?
って、なんとなく思いました。井上先生のお人柄をよく知らないけど。
結局のところ、謎の男女はその正体も目的もさっぱり不明で、
魔化魍は相変わらず元気に徘徊してるわけですが。
この物語の主人公は少年であり、彼らが生き方を見つけるのが結末っていうのが、いいよね。
京介の投入により、鬼を選んだルート/選ばなかったルート、のマルチエンディングになってるのもうまい。
先日、ひらパーのショーで「12年後の響鬼」を見てきたわけですが、
鬼たちの生活は、あんな風に今も続いているんだろうなって思えるような。
いやぁ素晴らしい作品でした。美しい作品だったよね。
響鬼の世界でいうところの仮面ライダー(鬼)とは、
望めば誰でも変身できる存在なのである。
ただそのためには、強い決意と信念をもって、鍛えて鍛えて、
ライダーになってもなお、鍛え続けてまっすぐあらねばならない。
だから、そこには
戦うことを厭いつつ戦わざるを得なかった、「クウガ」五代くんや
戦う力の代償に命を賭けたゲームに参加させられた、「龍騎」真司くんのような
歪みや迷いがないのだ。
鍛えて、鍛えて、鍛え上げて得られた「力」
47話でヒビキさんが鬼に変化せずその力を使うことができたように、
それは闇から借りるのではない、自分自身が努力の結果に得た、正当な「対価」なのだ。
響鬼は、自らを「鬼」と呼び、複眼を持たない異形の相をしていますが
仮面ライダーの中ではもっとも秩序(Low)に寄った存在なんですよね。
うん、歴代ライダーを秩序(Low)と混沌(Chaos)の軸で並べたら面白いと思うだけど、誰かやりませんか?
人それぞれの解釈もあるので難しそうですが。
私の中では、響鬼はLowのてっぺん、クウガがLow寄り、Chaosの端っこが剣ですね。
一人のアンデッドを救うために地球上の生命体全てを危機に晒すとか、無茶だぜ(だがそれが良い)
しかしそもそも。
「宇宙の平和のためによその惑星まで来て命張って戦うウルトラマン」はLowで
「闇から生まれ、同族殺しの宿命を背負って戦う仮面ライダー」はChaosという印象があり、
そういった意味で響鬼は、仮面ライダーとして異端と言えるかもしれない。
ただ、ライダーは作り手自体が「今まで作り上げたものをぶち壊す」っていうChaos発想なので
Chaos × Chaos = Low、みたいな?
マイナス同士を掛けたらプラスになったぜ!みたいな?
うーん、自分で言っててよくわからなくなってきましたが。
ともあれ。心の底から「鬼をやりたい」と思ってる人だけで戦うとことか、
「猛士」という組織のバックアップがあって、シフト制で、生活の保障がされてるとことか
能力的に問題が生じた時点で引退し、以降は支援サイドとして生きる道があるとことか、
一仕事終えた鬼たちが軽口叩きながら帰るところとか、
もうね、「ザ☆安定」って感じじゃないですか。それが良かった。うん。
しかし、そういう作りが子供達に受けないっていうのもわかるし、
一方。リアリティーを追求したクウガとか、謎解きに特化したアギトとか、善悪ごちゃ混ぜにした龍騎とか
敢えて子供向けに作らないことで、子供達からの支持を集めてきてた実績もあるわけで、
だから、響鬼の渋い作り方も間違ってた訳じゃないと思うし、
でもやっぱり地味だったかぁ、とも思うし。難しいもんですね。
で。「中盤からの路線変更」
Wikipediaを読んだので、後半は井上先生が好きなように書かれてると思ったんですけども、
意外と。意外と響鬼の世界をキープしてたのが驚きでした。
だって、響鬼の世界には井上先生が大好きな「悪党」が存在しないから(苦笑)
唯一、変わったなという印象が強かったのがヒビキさんのキャラ設定なんですが。
個人的な印象ですが、後半のヒビキさんは、井上先生ご自身に雰囲気が似てるんじゃない?
って、なんとなく思いました。井上先生のお人柄をよく知らないけど。
結局のところ、謎の男女はその正体も目的もさっぱり不明で、
魔化魍は相変わらず元気に徘徊してるわけですが。
この物語の主人公は少年であり、彼らが生き方を見つけるのが結末っていうのが、いいよね。
京介の投入により、鬼を選んだルート/選ばなかったルート、のマルチエンディングになってるのもうまい。
先日、ひらパーのショーで「12年後の響鬼」を見てきたわけですが、
鬼たちの生活は、あんな風に今も続いているんだろうなって思えるような。
いやぁ素晴らしい作品でした。美しい作品だったよね。