「個人の権利は守られた」
そう、言って良い状況なのだろうか。
ともかく、日記を超えて続けている「ショートサーキット出張版」同動画版も、今の所はまだ、続いている。理屈としては「減った分は増やせる」その実践ではあるのだが。”雅”市場の理解、人間は価値を食べてしまう、それを補う為に「創作」そう言うのが必要。その場に「同意の束」さえ集まればそれは「価値」に、「お金の担保」になる。それを土台にしてお金と言うのはその値段を維持しているのである、と。
その理屈が正しいのなら、内需拡大は出来る、筈なのだ、が。今の所、心理的には安定している”だけ”で、金銭的その他もろもろとしては、あまり良い状態では、無い。一応、換金が遮断されているから、とは言うが。現状の価値観では「それには価値が無い」そう言われれば”それまで”だ。”雅”市場の概念でも、創作はお金の担保として「大衆」によって数値化される。作者の主観はほぼ、考慮されない。”それ”が、その理不尽な否定は大衆の評価では無いと、誰が言えるだろう?(-_-;)
だがなぜ、6/12日分の出張版を書いた直後に、「回線が」遮断されてしまったのか。
幸いこの事例は、約8時間後に復旧は、した。ただ、特にNTTの方で地域性の障害が発生した訳ではない様で、”かなり”突発的でピンポイントな事例ではある。現状、自分はスマホを持って無いので、外部から「現在ネット接続ができません」をアップする手段がなかったのだが、まあその辺は、割とどうでも良い心配。
…そう、確かにこれでも、「軽犯罪」だ。「ちょっと機材が故障してしまった」だけだ、タイミングはちょっと嫌な感じが有るだけ。意図的かどうかは、その現場の現実になる、でも意図的だったとしても、”彼ら”はそう言う事が出来る場所にある、訳だ。
何かの、意識的な衝突は有る、気はする。紛争解決機構、「ガンダム」或いはガンプラのバトルフィールド内にて、それでも一応は、自分の状況は守れた、と言うべきか。
「個人の権利」だ、それは。自分のやっている事は、自分の持っている領土内での事例だ。外部的に否定されるいわれはない、至極当然の話は。もし?回線が意図的に遮断された時、果たして守り抜けるのだろうか。今回は一応は、何とか問題なく復旧はしたが。「相手」は”それ”が出来るし、八時間近くに渡ってそれを継続する事が可能であり、もし。色々考えはする。
「黄昏の狩人」それは、自分が書いた物だ。そして「インターネット」とはその中に登場する「電話料金が安価均一化し、全国どこからでも長時間のネット接続が可能になった」そこを土台にしている。”だから”普及したし、だから、「黄昏の狩人」その基幹の様に、表現の自由?平等な権利、それは守られねばならない、そう言う土台の上に有るのだ。「中華思想の皇帝」側も、「我々がこれを書いたのだ!」それを土台にする限り、”そこ”は犯せない。”だから”、今回の様な事が起こったとしても、接続は復旧し得るのだ。
理屈としては、だ。そう言う意味では”彼ら”は今回、再び「重篤な禁忌」を犯したのかもしれない。理解だけなら、巨大な権力それは今、個人の何かにより脅かされている、そう見えない事も無いが。
空想と現実の狭間に居る、気はする。