あげちうのブロマガ

倉庫で蠢くネズミの姿

世界は支配された、訳だ。

「新しい麻雀ルール」に。

と言う時、古い方の道理は、新しい方では必ずしも通らないし、それの一部は、逆にテロリズムでさえある、が。
しかし古い方は、”それ”を超えて、自身の道理を通そうとする。

古い方は、破綻した、のだ。
ハコテンの容認、その結果、それは強奪連鎖の果てに「切り捨て」を創ってしまい、完全性を失う結果で、”それ”は価値を発生しなくなり窮乏する。
結論で、「それが自由経済の結論」ではあり、今までの世界が何故、ここまで経済的に悪化したか?と言うと、全く”それ”でしかない。

破綻したのだ。

だからもう、古い環境の道理は通らないのだ、が。

具体的に、具体例があるにも関わらず、世界はこの古い方に、今も重い比重が有る。
解りやすい話として、「シャーペンの芯が通貨になった話【ボイロ劇場】」と言うのがあって。

聞きたくもない、グロテスクな話ではある。ただ、何かの現実だったろうか。

博打により、単なる点棒が実際の通貨価値を持ってしまうが、それが何故か破綻する。
こうなってしまうのは、結局は切り捨てを容認するルール、その原理に寄る訳だが。
ちょうど「なんでシャーペンの芯なの?」麻雀の点棒に通じる様な影は見える。
「俺が悪いんじゃない人間が馬鹿だからだ!」確かにそれは、一部事実ではあり。
ともかく破綻した、と言う事は、「この環境では人は暮らせない」と言う事だが。

この環境での支配者らが、今も、何かの剣呑さを見せているのは間違いない。

今の?世間は、この破綻した世界の覇者らを、或いは評価しない、忌避さえする。
彼らにとってはそれが不満、なのかもしれない。自分らは凄い事が出来るのだ、他者を超えた能力を持っているのだ、なのに。
結論で「環境が破綻した」と言う事は、それは価値に成らなかったと言う事だが。

そこに同意は、無い。

現在の、「新しい麻雀ルール」では、”帰結は同じ”だ。
世界全てに広がっても、それはむしろ、小さな話に成っていく。
朝起きて、ご飯を食べ、仕事をし、娯楽をし、色々して、寝る。
このループを護る事が最優先だ、その上で、自身の願望を果たす方法を考えるのみ。

そんなバカな事考えてねぇで仕事に行け。

…とは言え、破綻した世界の住人に対し、新しい世界はかなり冷酷かもしれない。

飯塚容疑者は、一つの帰結として具体例ではある。
その主観?理解、その結末が、新しい世界か、それとしては…獄中でしかない。
彼に対して「仕事しなさい」それは、袋小路の中で逃げ道を探せと言う様なモノだ。
もちろん、何かのプライドはそこで「無理です」それは言わない訳だが。

破綻した環境が有り、破綻した人々が居て、それが残す悪霊が有る。

「麻雀」と言う、一世を風靡したゲームは今、それを抱えながら…何を夢見る。


「働け」と言う、正論とその結果と

それは今も、何かの不満と共にはある。

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