重い壁だ。
「私はアインシュタインを超えた存在だ」
相対性理論には間違いがある、私の提唱した概念の方が正しい。
大概漫画とかでは「こいつあかん奴や」と言う扱いしかされない訳だが、しかし実際問題として、相対性理論には並行宇宙の概念が無く?また「解らない」を残しているのも現実だろう。物理学者に経済学やら創作の価値やら問うのが間違ってる訳だが、それでも「人類最高の頭脳」と言うフラグは今も健在で有って。
「お前、自分がアインシュタインより頭が良いとでも思ってるのか?」
それはほぼ、全人類に対して言える台詞だ。その時、彼を超える存在は居ないし、その間違いを指摘できる存在もまた、居ない。
本人にしたら、ちょっと問題ある事態ではある、物理的に太平洋戦争で原爆は使用されてしまったのだ、その時点でその想定には、何かの間違いは発生した。最強の暴力?を前にして人は逆らえない、か?と言うとそうでも無く、その先は最終戦争に陥って人類は滅ぶ、と言うのがこの思想?の帰結な訳だが。「滅ぶ」と言うその結末は、要求に対してあまりにもダメな返答ではある。
その結果を見れば全然ダメなのだけど。それでも相手は”あの”アインシュタインなのだ。
どっちを選択するべきか?ではある。「前に進まねばなりません。右は行きどまり、左には先が有ります。ちなみにアインシュタインは右を選びました、選ぶならどっち?」でも、そう説明されても逆に人は、右へ挑むかもしれないし、現状が正にそうかもしれない。今の想定での新型コロナウイルスは、「人間の強奪連鎖、その許容を検知すると重症化する」傾向があり、”それ”が弱いだろう地区での発症率や重症化は、低い傾向が有る。意識として「均等労苦社会」商店街のどの店も総じて流行ってる光景こそ理想だ、その時、一店舗だけが異様に客が居る、と言う状況は好ましくない、を選択し得るならその場に新型コロナウイルスの被害は発生しない、と言えるが。それでも、日本でももちろん売春婦は、今の理解では「強奪連鎖の犠牲者」は常識の様に居るのだ。
”ここ”はノアの箱舟だ、とかいうべきか否か。