善悪が反転する境目はある。
社長が何かの有能を持つ必要はほぼ、無い。
しかし、「いいわけ」にしか聞こえないのが衝突箇所、ではある(-_-;)。
その会社の社長は、有能だ。会社の業績は安定しており、しかもその業務形態を構築したのは社長本人であって、更に言えば技術者としての特許も数多保有し、それは会社の業績に大きく貢献している。そのシステムは安定していて、今は社長が何もしなくても利益は発生し続けており、しかし。彼はそれに満足せず、今は新規の事業を立ち上げ、或いは技術者として、今日も多忙な毎日である。
ウザい。
ともかくこの、彼の価値観からすると、すちゃらかな一般社員なんか、或いは片づけたいゴミでさえ有る。昭和の頃には、時々話題に有った話だ、「君の一月の給料を、私は一時間で稼ぐのだが」劣等な優越感、というべきか否か、ともかく昭和当時の価値観では、有能とは”こういう人物”の事だった。
今も、有能さは求められているのだけど。
結論で言うと「こういう会社」は、平成の間に、ほぼ全て潰れたと思って良い。
解っては居る事だ、均等労苦社会を目指す、なら尚更の話だ。一人で100人分の給料を得る仕事をすればそれは、逆に99人の雇用を失う事にしかならないのだ。場合によってはもっと酷い破綻を何処かで発生させる、その時社長は社員の前で、神様とか言われて悦に入ってる訳で。何か不足する物を求めて夜の歓楽街に出向き、そこで遊んだ相手が結論で自分が潰した会社の人であっても、それは或いはむしろ、ではある。
…と言う悪しき前例に成るまい、としたら。
だが日がな一日、社長は机の前で、WEBでも見ている事には成る。
他の社員が忙しくか仕事をしている時、それで良いのか?と言うと問題だが。少なくとも上記の「有能さ」を目指した果てにそこに居るのなら、必要な事は既にしているのだ。それ以上に動くと、現場は余計なストレスに晒される事には成る、ゲームでさえ、だ。「今以上を!」目指す、そう言う意識だけでも場合によっては他者のストレスには成る、とは言え。
理想の為に、失う物はあり、そこに望郷も無い事は無く、そして。
何かの「敵」は或いは今も、その先を目指しているのだ?