一種、感情論の問題ではある。
「テレビ業界とは何ですか?」
に対して、「けものフレンズ3」は、重いシンクロを見せてしまう。
面白いですか?
ムリでしょうね。
しかしその向こうには、「人と動物の境とは?」そんな、例の呟きがあって。
或いは、「ジャニーズ事務所」ジャニー喜多川氏、その方法論、その極論化した絵、ではある。
「飼われた存在」としての、動物のフレンズ達。それが集う動物園、”それ”を見に来る、と言う一般の人々。
しかしそんな動物園に、何故か「セルリアン」と言う脅威が発生しており開園出来ない、それを何とか排除しろ。
知的生命体、”人間を飼ってる”訳だ。
”それ”に対する否定感と視線、”それ”がまあ、「セルリアン」と言う設定だ。
自分らの商売を邪魔する奴らを排除しなければ!
なんだろう、これ。
ジャニー喜多川氏であろうと、結論で「教える」と言う方法論でのレベルアップには、限度がある。
「それじゃ、自分のスキルじゃないから」だ。自力でその”仕事”に必要な技術や能力を見つけ身に付けた結果が、”才能”と言う絵に成る。
「教える」と言う事に拘るのなら、その生徒らは確かに、「飼われたペット」フレンズ、それ以上には、成らない。
そんな、「教える」に失敗し、飼い主が居なければ暮らせない状態に歪んでしまった彼らを養おうとしているのが、ジャパリパークと言う「巨大動物園」なのだ?とか。
これは前にみた感覚、だろうか。
ともかく、自分が想定する「朝鮮王朝の末裔」その思想に、良く合致してる。
歪んで、歪な怪物と化してしまった、それはそんな王の様、だろうか。
それでも、何とかしようとしている様、だと言うべきか。
ジャニー喜多川氏は、亡くなってしまった。