ギブ&テイクが徹底できてない、問題はそこだが。
「貴方には支払い義務があります」それに、相手が従わない状況がある。
その壁に成ってる人々の殆どが多分、「普通の家庭」幸せ、”それ”を形成出来てない訳で。失敗したり、届かなかったり、勘違いだったり、ともかく”それ”に届かないまま終わってしまった、そう言う意識の層がある。
彼らは何を願うか?
なんで自分だけ?
だから、”それ”に対して強い否定感がある、単刀直入に言えば、嫌いだ。
”それ”がヒットしお金になり、益々”それ”に成っていく時、そこに重い溝は出来る。
嫌いな存在に石を投げつけて、何故悪いのか。まして買うなど、不愉快なイミフだ。
それに対して、「それは自己責任では」大賀さん的に言ってもそうだが、しかし。
勿論反論、反発は、想像を超えて厚い。そして今も勿論、相対性理論、原爆を創った思想それは、世間での王で有り続けている。
それは結局、発案者の”それ”も破壊したし、日本に原爆も落としたのだ。
だから、”それ”は実際には、その王の権威、その資格を失っている。
”それ”は原爆を撃たれるまで耐えた、日本の昭和天皇へと、渡った。
昭和に日本が、何故か奇妙な優位を誇った理由ではあるのだが。
もちろん日本にとっても結果としては”負け”だ。本来ならアメリカへ「侮れない相手」と言う事を見せつけ、講和に持ち込みたかった所だが、アメリカはそんな選択をしなかった、訳で。
…そう言う意味では、ゼビウスが飛び続けている理由、だろうか。伊400等の潜水空母による米国強襲作戦は、”当時の状況では”どれだけ続けようと上手く行かなかった訳だ。一回二回の強襲に成功した所で、相手は屈しない、相手にも理由がある、このままでは。
当時の日本とアメリカは、結論で”同じ方法論”の衝突でしか無かった。
誰かが世界を、上手く経営し続けねばならないのだ、独裁的に。
「独裁者を容認している」状態では、民主主義であっても、経済的な発展、それは何故か行き詰まってしまう。
そして相対性理論は、”それ”に対して今もか、返答できない現実がある。「増やす」手段を、物理的観測だけでは発見できてない。”そこ”に有る物を燃やし尽くしたらそれでおしまいだ、人類にも終焉はある。
日本はそれに対して、当時も今も、明確に「それは違う」それは言えてない。
だからこそ、ABCD包囲網を敷かれた結果、世界へと宣戦布告するに至ったのだ。
その、昭和以前から続く「常識」は、数多の不幸を積み上げ、その怨念を膨らませて、結果としての平成その不景気を招いた訳だが。
一応、「社会に否定された環境でも自立はしえる」と言う結果は、”かむろぎ”と言う閉鎖空間的にも、証明されているのだろう、けど。
つまり、結果で「加害者に成ってしまった」不幸な人々は、”それ”が表に出る時、更に罪を問われて不幸になる、訳だ。
結末は神のみぞ知る、だが。
「当り前」は、今もまだ、遠い。