切り捨てられた人々は、自前で「お金を精製する」しかない、訳だが。
農業では食えなくなった人々が、何とか資材を持ちより、小さな店を構えた。単にテーブルと、テレビ?が置いてあるだけだ。客は単にこの店に、一時間500円くらい払って座り続けているだけだ。彼らは”ここ”を運営しお金を稼ぐ事により、何とか暮らしを成り立たせる事が出来た。
…どうやって?
「ともかく」
昔の物語は、結構こういう話が多い。大事な部分は「そこはテクノロジーだ」それで語らない、作者にだって解らないからだ、未来は不定である。「だったら良いね」それは間違いない、ただ?この作品の中には答えは無い。現状、”これ”だと怒られる事が多く、ツッコミで潰れてしまう場合が多々ある。そのままだと、最終的には「実は社会のいらない人間を呪い殺す機械でした」それがバレた店は、正義の人々により破壊されました、とか言うオチになりそう。”これ”が現実に受け入れられる時、ここに勤めていた人々は再び無職に成った訳だが、次は何をするモノか。最早「連中は人間を食う狂人だった!」そんなフラグが付いた後だ。「正義」は、彼らをなぜか、目の敵にして追ってくる。意味不明な物語のおかげで。
ともかく?平成に入って「なんで?」物語に対して、疑問への追及は激しくなった。あらゆる「なんで?」に返答を要求し、納得できる答えが無いと「駄作だ」その評価が揺るがない、運営側が如何に売りたくても、だ。これが売れれば!我々は暮らしていけるんです!「人間を食い物にしてもか?!」お前らのやってる事はそう言う事だこのクズが!前出の「人間を呪い殺す機械でした」その物語の悪影響は、割と深刻な物として有る。
が、納得できる答えが設定されてない限りは、その可能性は有る訳で、それは責める方に、実際には正義はあるのだが。描く側としては、中々納得出来ない市場の反応ではあって。
だからこそ、「黄昏の狩人」これは、「王の印籠」として時代を支える事には成ったのだが。現実をベースにしつつも背景設定に、割と広域的な”独自の理由”が設定されていて。”それ”に合致、「被せ」ている限りは、その物語の疑問の殆どは返答が出来たのだ。「…で、これは誰が書いたの?」この後に、崩落はある。ともかくシニア世代は、”これ”を、その作者を「次の昭和天皇」として崇める事にした、のだが。「誰?」実はその作者(を名乗る人物)は、それを盗んだだけだった、それが平成の不景気を齎す事には成ったのだが。
色々、ある。現状まだ、シニア世代は?”それ”を認めていない、自分らが認めた王様?が盗人だった、とは言ってない。良くも悪くも過失があるのはシニア世代も同じような話、パクったハメた盗んだなんて日常茶飯事だ、殆ど問題が無いどこぞの馬の骨より、問題を抱えた親近感のある身内の方が、担ぐ神輿としては選択対象であり。”この”影響範囲は、そのパワフルさにより抑え込まれ…利益性のある選択?が、出来ないで居る。
ともかく今は、”線引き”をして。彼らをその内側に入れない様にするしかない、訳だが(-_-;)。