悲しい現実は度々語る所。
”娯楽”に関する職業に従事する存在が多いほど、農業その他は利益性が増すのだ。
その娯楽、サービス業?本屋や映画館、ゲームセンターやネットカフェ等々が利益性を持てないと、その分が農業その他に流れ込み、利益性が減る。或いは無職、デッドウェイトになって、経済を圧迫する。
地区の経済的な発展を目指す時、「娯楽産業」そこには実は重い重要性があるのだが。
その上で今、「RPGアツマール」にゲームが一つある。ニコクレーン。
RPGとか、アクションとか、それじゃないのだ。
これが今、ランキングでも上位を常にうろうろしている様に、一抹の不安と疑問?はある。
「星と翼のパラドクス」とか、「ボンバーガール」とか、そう言う筐体物を押し退けて、ゲームセンターの収益の基幹は、ぶっちゃけると「クレーンゲーム」ではある。景品が取れるか取れないかは違うな、と言う感覚的な逃げ道の先に、このゲームは有って。
このニコクレーン、景品取れるのか?
スコアでしかないし、そのスコアも結局は、乱数に近い有様。
単に、狙って、落として、悲喜こもごも。
”これ”に、数多の力作が「悉く負けている」訳で。
自分もふと、気づくと遊んでる…そんな感覚は有る。
ベクトル的には、むしろ邪道でさえ無いか、RPGアツマール上での、それはタイリングを用いるいわゆる「ゲーム的画面」でさえ無い、のだ。
自分も含め、認めてほしいのは、これじゃない”のだ。
しかし、客が買うのは”これ”なのであって。
”ゲームとして”だ、他の全てのゲーム性は”これ”に勝てて?ない。
極論化すれば必要性さえ否定されてる、そんな現状ではある。
景品が取れるか取れないか?は別問題として、”これ”も非常に高度な作品ではある。
クレーンゲームは人気であり、そのゲーム性のシンプルさは飽きが来ない傑作、それは確実であり。
…そう言うモノだ、とは思うのだけど。
それは果たして、ゲームデザイナー側の怠慢と言うべきだろうか、ゲームセンターの復活を語りつつ、所詮は、か。
期待された何かは、今も取れないでいる。