任天堂のファミコンには、歴史がある。
元々は「アタリショック後の反省」を生かす形で発生したハードと言うか、環境だ。それは自由市場を標榜した結果、突如か、駄作以下のそれしか出なくなって…滅んだ。その背景を背に、任天堂は徹底した「クオリティコントロール」をする事で、現在のコンシューマー市場を構築した…訳だが。
少し前に話題に成った「ファイナルソード」このソフトが何故問題作か?と言うと、”今までのそれ”では、まず通らなかった筈だから、だろう。色々な事情と共に、これを通してしまった任天堂のそれは今、何かの破綻を迎えていた…そう言うのは、ある。
表面上はともかく、内部的には重大な問題が発生してる可能性は、多々あった、訳だ。
この辺を復活させよう、という意図もあって企画したのが「クラウンズ」ではある、が。そこに当然の様に要求されるのが、「スーパーマリオブラザーズみたいな作品を」と言う話ではある。今の感覚では、割とクオリティコントロールとしては上手い方法の様な気は、する。企画時点で不足分を指摘出来れば?運営としての要求と責任は果たしたと言える、安心感は有る。ここを通った企画です、というなら融資に対しても感触は良くなる。”それ”が任天堂だから、と言われれば?ここに参加するなら、それに従わねばならない。思いがけず、重大な変更が起こったかもしれないともかく。今後は少し面倒になった、それはある。
メーカー 「と言う訳で、”どうぶつの森”みたいなゲームで、そこに登場するアイテムとかをペーパークラフトで印刷出来る、と言う趣旨なんですが」
クラウンズ「なんかもっとこう、アピールするモノって無いですか?ゲームとペーパークラフト、何の関係も無いのでは」
主観的に、これでこの企画は、この時点で没になる。スーパーマリオブラザーズと比べる、と言うそれがハードル高すぎる気もするが、状況の改善を目指す時、この物言いは正論かもしれない。
と言う訳で、多少改良。
メーカー 「ドラクエモンスターズみたいなゲームで、登場するモンスターはペーパークラフトに出来る造形で、それが印刷出来ます。もちろん印刷する前に彩色やマーキング等が変更出来て、自分だけのモンスター軍団が創れて実際に目の前に置けるんですよ」
クラウンズ「なるほど、switchの機能も利用してますし、良いですね」
と言う感じに、「企画時点で補正される」訳だ。これが任天堂ソフトの任天堂らしさを創っていく、事に成る、訳だが。
諸事情があり、かなり個人的で勝手な話ではある、「大賀さん」の存在故に、マスコミを完全には統制下に置けてない(相手が戦力を持ってたらその領域には進入出来ない)。プライバシー情報の暴露、と言うのは核攻撃並みに、独裁性が強まれば強まる程、脅威と成っていく訳だが。道理は何処か、今も対立する部分は有る。
民主主義は今、まともな結果を出せてない現実はある。
それでも、それは「誰も責任を取らない」と言う一点で、今も何かの脅威ではある。
民主主義と言う邪悪に挑む、それは正義か否か。