思案する部分も有る。
独裁国家だったら、もっと簡単だったかも知れないが。
逆に今の時点でも、独裁性がある故に、「対抗する何か」が発生し、どうもそれを抑止し得ない。
それをどうにかする為に「紛争解決機構」その存在がある、定型の流れ。
ちょっと主観的な感覚。
朝日新聞社の社主、その”正妻”が、「紲星あかり」。
”それ”に対して抑止する存在が「ポンプ長式大和」。
どっち?に関しては、「大賀さん」での決着で決める、そう言う。
結局、それはつまり「大賀さん」が王様、というスタンスに成る訳だ。
「と言う感じで」それを決めたのが、”ここ”ではある。
主観の問題ではある、一時的にか、集中した特権、その中での話。
どっちにしろ、存在してる何か、とも言えないのが微妙だが。
ただ?何故「紲星あかり」が?というと、今までの流れの中での理解、「新聞記者」に殺された女性、と言うのがどうも”こういう女性”に該当するらしい、からではある、主観の問題。鎮魂も含め、この子を「朝日新聞社の社主」それが求める正妻、という立場に置く…事で、何かの道理を通す、そう言う感じ。
しかしこのままだと?世の中は「紲星あかり」の独裁国家に成ってしまうので、カウンターとして「ポンプ長式大和」お目付け役か何か、その辺を置く。”それ”は、森宮の「今日の呟き」を嬬魔化したモノ、というニュアンス、自身の意向はその位は反映したい、と言う感じで、それはそれで有りそう。
※嬬魔とは、「標的を監視し得る視線」と言うニュアンスの魔物、ではある。”それ”に期待される様がその容姿となり、標的が”そこ”から外れると「性的な魅力」として発露、”それ”に対して性的な欲求を向ける事で抑止効果を発生させる…そう言う構造ではある。萌えオタらは、美少女キャラにもえもえしてるだけで世界を補正してる事に成る訳だ、”ここ”が或いは何かの「独裁的な利益」を発生させたりする。
こうなると、朝日新聞社の社主に発生してた独裁性、そう言うのは薄れる、かもしれない…少しそれは様子を見たい部分は、ある。
新型コロナウイルスは、感染の拡大を続けては居る。今の所は重症化しない、にしろ、「毒性が弱まった訳じゃない」と言う現実も変わらず、何かの危機感は重くある。自分の主張が正しいのなら、このウイルスは強奪連鎖の否定、単刀直入に言えば性風俗の犯罪化、それにより抑止される筈、ではあり、その最も期待し得る方法論、”それ”は「頂点がそれを罪と認める」事ではある、しかし。
朝日新聞社の社主と言っても、やっぱり独裁者では無い、と言うべきか。今もまだ、こちらの期待が通った、と言う事はほぼ無い訳で。
少しずつ、不愉快を耐えつつ、削りながらか、前に進むしかない。