あげちうのブロマガ

作家の夢想と読者の現実

確実性のある話でも無い。

ただ、「名探偵コナン」の人気は、相応に同意し得る物、ではあって。

この辺、「ストリードの連携」に同意できない場合、意味の無い話かもしれない。


ともかくこの作者は、昭和から既に名のある存在ではある、要するに昭和天皇の認証した選抜構造、”それ”を通って「認証された存在」な訳だ。その足場は、平成に入ってむしろ重要視される様になった、が。とは言え、売れる売れないには大きな壁が発生していた。

作者の独断と偏見それは、否定される事が多くなった訳だ。

この中で、この作家か作品が選択した、のが。ある意味での徹底した「作家性の否定」と言う方向性、ではある。ネタからして一人では考えず、シナリオの方を重視し、アニメ化が決まってからは、アニメ重視にシフト、マンガの方はシナリオの列記みたいに成っていったが、それはまた「単品として大きくしない」と言う、当初からの方向性でもあって。この辺、「独裁性は否定される」と言う環境の中では実は重要な要素であり、現在考える”雅”市場、その方向性とも合致が有る。昔からの物理法則に近い現象を、作者は独自に解析かして、「利益の為に」作品へフィードバックしていく結果が、今の成功と言う絵では、あって。

とは言え、”それ”を他の、特に平成から始まった作家が真似しても?多くは失敗する。何故なら彼らは「昭和天皇の認証を受けていない」から、だ。平成が始まって1992年以降は、DOS/Vの侵攻に合わせ、昭和天皇の残した影響は完全に破壊されてしまった…そう言うべきかもしれない。認証されないままプロに成った作家が増えてしまった、と言うべきか。この辺実際は、大問題が蠢いている…そんな気も、する。売れない物を無理矢理売れる様に見せた、そう言う話があちこちに有るのかもしれない。

ただ、作家志願か、微妙な作家らには多くある「この作品への不満」は、そのまま現状への面倒さ、その象徴でもある。「やりたい事は出来ない」描きたいモノは描けない、訳だ。利益の為に、自身の方向性はむしろ否定しなければならない、それを我慢し得るか?で、この作品は地道に足場を固め続けて今が有る、訳だが。

それじゃ何の為に漫画描いてるのか解らない、訳だ。
利益の為に、上の奴隷か筆記用具に成れと言うのか?

一面の正義と、実際には「強力な独裁性」の発露は、平成を混乱させる、大問題にも成っては行った。何はともあれ「王の権威」が居る、と言う事実を無視しての話である。混乱は熾烈を極めた、そう言うべきだろうか。

現状でも、カウンタ数値は、当てに成らないのだ。
しかしだったら、「正しい」それは何処に有るのか?
その時、「王の権威」と言う、物理法則に最も近い個性、それの意見は正論として有る。

逆に言えば、カウンタ数値さえ信用し得る物なら?王の権威でも、単にそこに居るミーハーの一人に過ぎない訳だ。”これ”を弄っちゃう事が、状況を混乱させる最も重要な要素だが。

曖昧は続いている。
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