あげちうのブロマガ

古い制約と新しい秩序

考えなくても恐ろしい話ではある。

「紛争解決機構」それが有り、世界は”それ”により戦争をしない様にしよう、そう言う条約の中にあった、が。ある対立の末に、或いは独裁的な国家が敗北、しかしそれを不服として…最終的には敵国かへ向け、核兵器を撃ってしまった。それを期に世界は全面核戦争に突入してしまい、人類は崩壊寸前まで陥って、ようやく終戦になるが。

最初に核兵器を撃った国は何故か、その罪を問われる事無く、うやむやになった。
紛争解決機構の存在はその時、ほぼ形骸と化した。


今想定する「新聞記者」のした事とその後、と言うのは”こういうニュアンス”が有る。「紛争解決機構の決定に従え」それは或いは当時の王の権威、それが残した遺言だったかもしれないが、それを無視された訳だ、「王の権威」その意向に逆らった。その結果として大損害以前のそれが発生した、にも拘わらず、その罪は何故か、曖昧になった。幾つか重なってくる。モーリシャスの重油流出、レバノンの大規模爆発、福岡の爆発事故、そして、再び問題になった「新宿アート展火災」での犠牲者の話。全て「ついうっかり」の範疇で起きていて、その被害の大きさに比して、それを罪として明確に問えない。その起点に、この新聞記者の事件と言うか、”それ”はある。

最近のは、まだ…解る部分も有る。「大賀さん」紛争解決機構の決定に逆らった”結果”だ。自分が自身の上司に逆らえないなら?その罪も被る事に成るだけだ、何となく自爆感がある。新宿アート展の話は、自分には「皇帝創作」その意味に繋がるだけに…ちょっと無視し難いが。しかし?それであっても今も話は一般論では通らないし、刑法上は、不起訴相当に成ってる。この事件の責任を庵野秀明氏に向ける?それは昭和で良くある話でもあり、ともかく「シン・ゴジラ」が、「ゴジラ」への皇帝創作だったとしても、それだけで何か問題が起きた、と言う訳でもない。面白くないなら見なければ良い、しかし。ともかく社会が、”これ”を支持していた、それは確かな話。”先生”がしてる事を真似たら、ちょっとさじ加減を間違えて大惨事に成った。その時、それが起きた責任は誰に有るのか。

社会全体が、今もまだ、何かの制約、その脱却への意欲に満ちては居るのだ。
その武器として、この「ついうっかり」による大損害、それは大きな意味はある訳で。

形而上の話、だ。概念同士の衝突ではある。一応、「正義の戦い」と言うのは…そう言う物かもしれない、人の意識に有る「基点」人とは?それを巡る騒乱と、結果。ここは全く無法地帯だ、ここに何かの法を持ち込もう、それが徒労感のある話かもしれないが。

ともかく今も、「新聞記者」による強姦致死、それは道理に反し、「大賀さん」の決定に背いた行為ではある。

しかし、実際にそれは起きたのだ。

最初の例で言えば、「紛争解決機構」その存在は結局、うやむやになった。

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