あげちうのブロマガ

世界を支えてきたと言う自負の暗黒

夢オチは、何故否定されたのか。

その結果、そこには奇妙な奈落が存在し、そこに少し、住人が居る。

そう言う意味では、「けものフレンズpv3」のネタも、結論で言えば「殺している」と言う視点はある、変質を始めたカバンちゃんを、一度”作り直している”のだ。現在の「けものフレンズ3」その10章までの展開でも、一応その影は見える、ドールは自身を犠牲にしてセルリアンを倒すが、自身は元の動物に戻ってしまう。蘇るが、それは元のドールでは、無かった。

けものフレンズは、元々の”土台に成ったモノ”が、今の想定では「薫風と菫の動物園」だが。という事はつまり、フレンズらは「娼婦の比喩」なのだ。彼らを「動物だ」と見てる意識が、その奈落に陥り自滅した、それは、そう言う小話でしかないし、それは単純に「漫画」だ。

「漫画だから」そう、言えない意識がしかし、想像以上にか、重く淀んでは居る。


それは全く、「脱出できない脱出ゲーム」みたいな感覚、ではある。物語的には「そう言う意識で居れば、最後はそうなってしまうよ」的な、教訓か戒めの様なモノ、だ。脱出できなくて問題ない、ただ?この時この場に有る意識に、そこに居る罪の意識は無い。

風俗関係に良く行く、という事が問題では無く、相手を人間とは考えてない、だから犠牲にしても構わない、そう言う意識の問題、だ。

まあ、漫画だから。

ちょっとしたホラーとして面白い、という程度はしかし。不意に何かの重い抵抗を前にはする訳だが。

最近再び、「ウマ娘」その台頭?で、この辺の感覚が再燃している、と言うのはあるのかもしれない。「人を動物扱いしても良いんだ!」とか、そう言う何かの、既存の権力者、実際には有るその重い暗部、だろうか。既存の自由市場では、お金は増えない。その時、切り捨てるそれは、相手を殺して食う、それに通じていく。

”その”罪を問われている、訳だが。

幸か不幸か、”ここ”が状況での、最終的な「倫理の頂点」だ。「漫画だから」を言えない場合、それは結構、重い悪夢を背負う事に成る、と言う事だろうか。LGBTも自身の理解では、精神異常の一種だ、どっちにしろ自身の、種の保存的、未来の有無で言えば”それ”は途絶えている訳で。しかし、結果として彼らは自身の未来を世界に捧げる、という大役?を果たしている事になり、”それ”に依存してきた”今まで”がある。

生贄と見るか英雄とするかは、個人の感覚ではあるが。

酒やたばこをたしなみ、風俗に行って、そうしてストレス?を発散してきた世代と。
言えば漫画やアニメ、ゲームで”それら”を発散してきた世代と。重い溝は或いは。


少数派の声ではある、しかし。

自分の親だったりしたら。

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