「朝鮮王朝の末裔」それは誰か?
ハッキリは解らない。
ただ?朝鮮半島に近い場所の出身、”それ”は可能性が一つ。
また、男尊女卑、特権思想?そう言うのが強い、それも懸念。
更に、卑屈さ?そう言うのが強い、そう言う傾向があるのも、怪しい。
それって。
だから、はっきりとは言えんと。
色々と、過去の文献?を思い返すに「この辺?」と言うのはどうしても感じるし、”それ”に自分がちょっと踏み込んでた過去、その辺も因縁には…成るのかもしれない。当時の正解だ、「自分以外の誰でも良いから前で指導者やってくれればいい」それは、正しい。まだ昭和皇后様も問題こそあれ存命、他の人々は”それ”を支えれば良いのだ、その時、何かの理想、その片鱗は或いは、そこに有った。
…が、不意に気づく時は、ある。
自分の身を守れるのは、自分しか居ないのだ。
そんな、何処かの偉人が守ってくれる訳じゃないのである。
人間であれば、何時か、衰えたりする時は来る。
その時、或いは後ろに居る存在こそが、そのリーダーに成らねばならないのだ。
自分の事は、自力で…何とかするべきであって。
後々、「なんですか俺の黄昏の狩人使ってんですか俺がそれじゃ王の権威だったんですか?」という事態が薄ら判明して初めて、何となく自身の選択?は微妙に正しかった、「大衆は神である」それは正しい、そう言う感じには、成るのだけど。しかしそれだけに、状況が悪い、その深刻さも問題には成る。
「大賀さん」今、それが有る時。
「朝鮮王朝の末裔」その必殺兵器、
「あんた自分が神様のつもりかよ」
それは、意味が無い。
結果?「中華思想の皇帝」と”同じ立場”に置かれる。今までは、その皇帝に依存してればよかった、しかし?”それ”が自分に廻ってくるのだ。その時、その必殺兵器が使えないなら?とにかく戦争で勝つ事を考えねばならない…しかし。
「朝鮮王朝の末裔」には、恐らく戦争など出来ないだろう。求めているのは「一方的な勝者側のパワー」だ。その飼い犬に成って初めて美味しい餌には有りつける。が、それは今、「大賀さん」を前にする時、意味が無い。野良犬に成った訳だ。その時。
「大賀さん」へ不満をぶつけている、そして「それはゲーム機です」それに折れる…それも、感じる。危機感はある、何かの破綻は有るのかもしれないしかし。
数千年来の卑屈さは、果たして数年で創ったゲーム機に負けるだろうか。ともかく、朝鮮としての未来はどっちか。何かの発起としては、太平洋戦争前への回帰こそが願いかもしれない。しかし、朝鮮半島の人々は、北と南で手を取りあって聖火をともした、その願いは。果たしてそこに、過去の王朝を…呼ぶのだろうか。
「聖火の中にくべてやれ」
それは、個人的な呟き。