防衛の難しさではある。
アメリカで再び起きた銃乱射事件、自分が「実際に排斥扱いに成ってる」状況では、どうにも犯人側に立たざるを得ず。とは言え?同一の環境が提示されていたら彼らは暴発しなかったのか?それもまた、未知数だ。
日本でも、議論は再燃中だ。「専守防衛では国が護れない場合が」それはまったく今回の、突発的な銃乱射事件での犠牲者をどうしたら防げるか、或いは自分が犠牲に成らない為には何が出来るか、そう言う話ではある。アメリカでの銃規制は現状、逆効果の可能性が高い、数百万丁の銃が、所有者も登録されずに存在すると言う。逆説的には、それでも”突発的にしか起きては居ない”のだ。その辺に、何かの活路を見出すしか。
何が、アメリカの平和…を、維持しているのだろう。
「アメリカには、社会を構成する倫理観がある」事と、そして現実の事件。色々考える際に、やっぱり何か、「歪んだ女性的心理による壁の衝突」そう言う”感じ”の何かは、感じる。いわゆる「九尾の狐」だ。形成を考えると、大概は夫に選んだ男性の「思想」に染められる時、女性の中で”それ”が極論化してしまい、その思想の問題が拡大解釈的に発露する…そう言う変質、だが(大概は「猫」と表現されるが、ほぼ最強なのが”釈迦の教えを鵜呑みにする”時、「曼荼羅の概念も取り込む」結果で、尻尾が九尾になる訳だ。尻尾一つが一つのマス、その世界へ通じている。自分への攻撃は全てそれらへ受け流されて行き、後には自身の要求しか残らない)。アメリカ?インターネットを中心に、その辺が広がってる、そう言う雰囲気も微妙に無い事も、無い。100%の同意を背に要求を押してくる存在に、普通の人々は逆らえない、その思想を強要した男の側でさえも、だ。「それは幻想だ」と、理解してても中々、相手の断言を否定出来なくなる。「魔女」は、現実に居るのだ。
そう言う脅威を設定すると?その存在が、”神様”に喧嘩を売ってる、事が…騒乱の問題にはなる、のだけど。”神様”の倫理、要求が、相手のそれとは異なるのだ。それに対して無形の戦いを挑む時、その狭間で、今回の事件は発生する。
神様とは?
その混沌が原因なのか、それとも。
「カウンタ制御はしない方が良い」と言うのは、自分の状況ではどうしても、有る。それに対して「北朝鮮に対して対等の立場など存在しない」それも、対抗し得る正論としてはある。その時、あの学校の、危険な生徒を学校から追い出した、それは正しい事には成る訳だが。その結果があの暴発で有る時、その責任は、何処に行く物か。
良くある話だ。”彼ら”は何故、銃を、或いはナイフを持たねば自身を護れないのか?強力な思想誘導性、それに対抗し得るのは犯罪性、単純な反抗その攻撃力しかないからだ。その辺を、最悪の衝突前に中和し、両者が納得し得る、せざるをえない結果を出す場?が必要には成る、のではあるまいか。無形であっても「そう言う場があり、その結果は絶対である」時、或いは、その悲劇はその中で発生し、物理的被害は出ずに決着は付く。
アメリカに、「紛争解決機構」そう言う概念は、入るモノか、否か。PUBGは、すっかりチートに汚染されてしまった、らしい。「これじゃダメだ」それは、この作品としては…正しい帰結なのだけど。
御守は、果たして何処に。