昭和天皇には、理由は有った。
太平洋戦争を許可した、その贖罪として、それは容認せざるを得ない牢獄だった。
状況を考えると戦争終結、”その後”も、体制の問題?は戦争の可能性を常に孕みつつ、やがては緊迫した冷戦時代へと突入していく。日本も安保闘争等々、内乱に成りかねない混乱、そう言うのは多々発生した。
主観的理解と把握では、「ガンダム」その発生後、そう言うのは、かなり沈静化している。それは紛争解決機構、”それ”として十分な性能を示し…その後、記憶に残る昭和の黄金期、それは到来した、訳だが。
現状で「牢陽帝」と呼ぶ体制?「王の権威」その座に有る存在の思惑?”それ”を土台にしつつ、「紛争解決機構」でそれを抑制、エネルギーだけを利用する事で経済的な発展を得ようとするこの体制は、多少の混沌を残しつつ誕生した、訳だが。当時にしろ、天皇家には、昭和天皇だけでない範囲に、重いストレスは発生した。「サイコロで運命が決まってたまるか」戦時中の机上のシミュレーションにしろ、”出目を弄ってしまう”不正?それは有った、らしくも有る。「なんで?」サイコロでの決着では、それを消せない現実は重く、しかし。ともかく選ばれた連中の、秘匿された部屋の中の”それ”では、結局は問題ない紛争解決機構、それは実現できなかった、だろう。
テレビゲームと言うモノに、昭和天皇も夢は見ただろうか。
現状で、「牢陽帝」とは言うが、紛争解決機構「大賀さん」の存在により、かなり、十分な?性能は示しつつは、ある、気もする。理解としての混沌はほぼ、無い。シニア世代への配慮も、一応はこれで適当に満たせる感じも、無い事も無い。概念は、「牢陽帝」という”牢の中の王”だが、実際には?大きな企業の会長か何かが?その会社が発生させる利益の中から、自分の”使いたい分の小遣い”をウォーキングマシンでの歩数で得ている、様なノリでしかなく。彼自身の「自由」は、それでしか得られない、のだ、その制約により集中する不満を抑制しつつ暴走を防ぐ?訳だが。そのイメージでは、そこには問題はそれ程ない、のだけど。
まずその会長は、そんな事をしたかったのか?はあって。
背景に輝く太陽、その中には一人居て。その前で、”それ”による栄華を示し、「民よ、神の前に平伏すのです」そう言う”それ”は、絵面としてどうなの?それは常々疑問にはある。
どんな体制にも、何処か何か欠損はあるのだけども。
古の「2001年宇宙の旅」それでもあったか、最後。突然差し込まれる、何処かで一人、何かを書いている老人のイメージ。そんな存在と、”それ”により齎される安定した環境。多分相対性理論の「アインシュタイン」も、その「王の権威」だった筈で。それは結論で太平洋戦争を起こしてしまったが、それが果たせなかった夢、これは?そんな執着の様なモノだろうか。
感情論さえ無視すれば、問題は無い。
電子回路の様な、しかし。