現実の問題ではある。
前の「小学生の交友関係調査」は、今、現実に行われている国勢調査の主観変換、と言うか、そう言う物で、それは今、実際に行われているのだ。
そして多分、「同じ問題」同じ混沌が、現場レベルで賑わっていると思う。
と言う理解の上で、何だか意識は、奇妙な帰結へ向かう。
”これ”、あの「多項目商品注文法」に、”被せ”てないか?
だけど、”契約被せじゃない”よな?
とあるドーナツ屋。
普通は、幾つも、色々な種類を買うのだけど、しかし。
フレンチクルーラーとかハニーディップとかストロベリーリングとか、商品が多い。
”それ”を、レジ前で一つ一つ注文していく時、後ろで待つ客がちょっと、重い。
と言う事から、手順を考える。
1.まず、席に着く。
2.そこには席番と、注文一覧の書かれた注文書がある。
3.客はそこに座り、注文書に数値などを書き込む。
4.その後、「離席中」と言う札を残し、注文書をレジへ持っていく。
5.そこでレジを済ませてしまい、また席に戻る。
6.後は席で待って居れば、店員が商品一群を持ってきてくれる。
レジ前の混雑緩和と、商品選定の時間緩和等々、色々メリットが。
「レジ前で直接注文しちゃダメなの?」
だから。
”この”場合、それは「目的と理由を考えてくれ」と拒絶できる、が。
”これ”をその、「小学生の交友関係調査」に適用すると、似た様な話が。
「一緒にアンケート用紙渡しちゃダメなの?」
作業の単純化、客体との接触時間の減少、と言うニュアンスからすると「駄目だ」が。
”ここ”まで落ちてこない。
その前の、企画した存在で止まっている。
にも拘らず、”そこ”で決定しない。
何故か?
契約されてないから、だ。
現場は責任を持てない、それは他人の考えた話だからだ。
しかし、土台を考えた筈の自分は知らないのだし、契約も無いから無関係だ、しかし。
どっち?
この時、現場の担当者は、何故かそれを、土台に向けてくる。
状況を考えたら、色々有り得る話で、多分そうだとは思う。
だからこそ問題ではある、国家レベルで「被せ」ている可能性が濃厚。
場合によってはアベノミクスの正体と言うのが「かむろぎマニフェスト」ここかもしれないのだ。
「契約被せに成ってない」から、流石に問題が出てきた…そう言う。
しかし、これを一種、超えた事例が「新世紀エヴァンゲリオン」であり、自身の「黄昏の狩人」に被せつつ、”その上を”目指す結果として、そこにある可能性でヒットになった?のだが。
「パクリはパクリだ」と言うオチを回避出来なかったからか、その後はあまり良い結果に成ってない。
現状見る限り、「小学生の交友関係調査」も、混沌が残ってる。
そしてそこには、カルトの執着が残っているのだ。
「大賀さん」に逆らっているのは、何処。