剣呑、なのだ。
先の「小学生の友好関係調査」は、結論としては前者、「いったん小学生の有無を調査し、”それ”から存在する家庭にのみアンケート用紙を配布する」と言う事にオチになる、として。
「なんでこれじゃだめなんですか」
食い下がる”何か”が、何かの剣呑ささえ孕んでそこに有り…結果、動きが鈍る。
貴方がそれを断行する時、この意識はそこで、何かの剣呑な面倒を起こしそうだ。
結局?この”食い下がる何か”が、その「殺されてしまった売春婦」そこへと至る訳だ。
だから今も、その加害者を、明確には断罪、できないのかもしれない。
もちろん、自殺まで追い込むのは間違っている、にせよ。
その相手は妙に、「決定」に反発する個性だった、と言うのも或いは、正しい。
天皇陛下の意見だろうが何だろうが、自分の正義を信じて貫こうとする。
結果、体勢は多数決の多数派の為に、この「面倒な人」を切り捨てる、訳だが。
その時、そこに重い遺恨は残る訳だ。
意思決定の主体が、かなり曖昧に成ってる現状はあって、”この”ストレスがあちこちに出てる、そう言うのはある。アメリカの方でアイオワ州の投票集計が妙に遅れたのも、何かの関係は有るかもしれない。食い下がる相手に対して、「うざい」と言う、冷酷な視線はどうしても向けてしまう。そしてしかし、その言葉は何となく意味がない。
「大賀さん」で決まった事だ。
或いは、「この前ガンプラバトルやっただろう?」それでも良いが。
ちょっと混沌がまだ、重い。