PUBGが、そのデザインが、「ゲーム性として間違ってる」訳でもない。単に「紛争解決機構には成り得ない」だけだ。オーダーが”それ”なら、それを満たせない時点で「評価的にはどうにもならない」が。「紛争解決機構では無い」なら?現在の、市場経済への皮肉?帰結、悪夢、「このままでは未来が無い」その提言には、成る。
…しかし、良くも悪くもオーダー?は「紛争解決機構」の、様だ。ともかく「電影旅団オーガ」が何処かにあるなら、同じモノをまた創る必要性は無い訳だし、そう言う意味で「必要無い」それで蹴られた後。オーダー的な「残る需要」として、この「その決定は覆せない」そこに一縷の光明はあった…それを描いたゲームではある。
で?意味は?
「これが今、君達が毎日”真面目に働いている”現実なんだよ、楽しいよね?」
ある意味、非常に皮肉的なゲームデザインではある、PUBG。だから、一概に「悪い」とも言えないのだ。ただ、オーダーとして「紛争解決機構を」と言うなら全く満たしていない、”それ”は間違いなく。ある意味で、自分が把握している「ゼビウス」それに近い状態、なのかもしれない。オーダーに同意できず、自身の主観により「正解」を構築した結果。
このゲームが流行る事は、現行の市場経済に対するアンチテーゼには、成る。今の市場経済は、農業の効率化の末に余剰人員が増加する問題、に対する解法を、「殺せ」リストラしか用意してない訳で、まったくPUBGその物、だ。どんどんと、生存可能エリアが狭まっていく、最後の1人になったら?
「…さて、もう一度最初からやろうか」
さっきの苦闘は?ドン勝したんだよなんか無いのか?
「無いよ」
それが解った時、このゲームを続ける意味は有るだろうか?
現行の市場経済が、PUBGその物で有る限り、ここは破綻する、「既に破綻している」と言って良いのかもしれない。”これ”が解って、損失しか出ないと知って、ここに参加する奴は居るだろうか?シニア世代はここに居て、或いは打開を「神」に求めているのかもしれないが、”神”の提案?に賛同する気は全く、無い。結局最後は「そして誰も居なくなった」のだ。この市場は存在しない、と言うか存在出来ない。
「意味を探せ」
シニア世代か、テレビ、は。”この”中に何か価値を見出さないと、暮らせない。フルーツバスケット、椅子取りゲームの結末は果たして。そのゲームは、そもそも子供らに「こういうのは良くない」そう言うのを伝える為の絵でしかないのだが。PUBGはそこに対して「それは違う」自分らのしている事には大いなる意味と未来がある!彼らはそう信じて、最後の一人に成り続けたのだ。
ある意味で、PUBGは「ゼビウスのリテイク」そう言う”感じ”なのかもしれない。ゼビウスはヒットしたのかしないのか、そこは、ある意味ではどうでも良いのか。