あげちうのブロマガ

「頑張る」その言霊の陰と陽

追及し切れない部分はある。

「「漫画家」が当時、自身の敵を不正に”落第”させてた」

それは、あくまでも状況からの推測でしかない。「新聞記者」の持つ何かの威圧?は、「王の権威の意向を無視しつつも罪に問われなかった」その帰結であるのなら、「漫画家」のそれもまた、”同じ様な事例”を実際には持つはずだ、それは何?と言う、そこから来る。当時の王の権威が遭遇した、多少、不可解な事例から逆算すると、30年は前から、彼らは数値を弄り、自身らの敵を不当にか、学歴社会から”排除”していたのだ。

被害者側には、証拠を掴む手段は無い。自分としてもその当時、”その結果”に対して実は、理不尽を感じた訳でも無い。理不尽を感じ始めるのは「その後」だ。「虹色宝珠」というゲームが入選した!?後に、コンテスト毎、ルートが潰れてしまう、”そこから”だ。この事例は”それ以前”に起こっていて…その頃から?と言うのは想像が及ばない話に成る。

とは言うが、事例との合致は、ある。
ともかく当時、「昭和天皇」が居ない結果、「神がお許しに成らない!」そう言う感覚は、意味を失ってしまっていた訳だ。

「カウンタ制御」諸悪の根源である、”それ”に対して責任は集中していく感覚はある。「漫画家」それが今、”それ”を支えている本懐ではあり。「王の権威を超えた」そして罪に問われなかったと言う事例は今、そのカウンタ制御と言う暴挙を支えている訳だ、数値を弄った様にだ。ただ基準はもちろん、「漫画家」自身の主観と利益に過ぎない。ともかく”彼”は、「王の権威」に反した、結果、壊滅的に「利益性には見放されている」のだ。他者を利用し上澄みを吸いつつ、自身へ責任が廻らない様に、数値は理不尽に制御された訳だが。

そんな彼を支えるのが、「宗教家」ゼビウスを企画した存在、ではあり。”それ”は或いは今も、数多の信者を抱え、「王の権威」その独裁に立ち向かっている、訳だが。もちろん”ここ”も、利益性には遠い、金銭的には苦境である、筈。状況はじわじわと、元凶をあぶりだしてはいる?

概念上は、「大賀さん」の存在は、「王の権威」を消している。
だから、”それ”に立ち向かうのは、「大賀さん」の結果に逆らう、そこには至る。
「スペースインベーダー」は、趣旨を少し変えた…犯罪まで擁護は出来ない。

彼らは今、何を足場にしているだろう?
「王の権威の決定を超えた」そこだろうか?

それは今、「大賀さんの決定に逆らう」そこに集中はしている。
「宗教家」「漫画家」「新聞記者」この、責任をループさせてた全部が、単一の敵に挑んでる訳だ。

「努力した」頑張った、その帰結とは、何処へ。
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