あげちうのブロマガ

人間性の喪失と王の是非

現在の、か、徒労感はある。

それは、朝日新聞社の?感覚による断罪だ。

「王の権威に逆らったからです」罪状は”それだけ”です。

今も”そこ”には、「大賀さん」紛争解決機構、その存在は、本質的には無い。


売春婦を強姦し殺したが、罪に問われなかった。
自身の敵を理不尽に不合格にしたが、罪に問われなかった。
売れなかった物を売れた様に見せたが、罪に問われなかった。

この結果、彼らは結論で、「人間性の欠落」を起こしていて。
”それ”に対しての論理的な説明?は、意味がない状況が有る。


1000円と値札が有る物を100円で買おうとしてはいけません。

何故?


給料の未払いは犯罪です。

何故。


そんな機能が無いのに有る様なCMをしてはいけません。

何故!


「何故?」に対して求められるのは、総じて「数値への理解」だ。同意、共有し得る感覚。100円の商品は100円を出さねば買えない、その”価値感の一致する場所”を双方で持たないと、”値段”はそもそも意味がない。しかしそれが、「王の権威」その意向を無視した時、彼らの中では理解が?破綻してしまった。以後、彼らは人間性その物を喪失して、そこにはある。

「王の権威の決定は絶対です」
本質的には、”そこ”から始まる事態なのだけど、しかし。

「大賀さんの決定に従え」も、帰結としては”そう言う意味”ではあり。決めたのは「王の権威」である、その決定は絶対である、だからこそ「大賀さん」その決定は絶対だ。今の状況でも、説明はここからでしか通せない感覚は有る。(0±0)と言うシンボルの意味を説明するのは、何だか意味を感じない。もちろん、「大衆は神である」その言い分も、だ。

アメリカ、ハリウッド、その辺にしろ…「王の権威を倒せ!」結論的には、そここそを正義としてきた、のだ。道理はある、その人物が「良い」と言わなければ売れない、”それ”は資本主義にしろ邪悪なる独裁者の姿ではあり。是非を決めるべきは民衆で有るべきだ、お前では無い。

しかし物理は、民主主義をどんどんと、ダメな物にはしている。
民衆はその、邪悪なる独裁者が「良い」と言うモノしか買わないのだ。

「麻薬は必要な物なんです」その位に、曲解を呼ぶ感覚だ。手術などで”それ”が無ければ、患者の多くは痛みを耐える事が出来ないだろう、ならその先も無い。麻薬撲滅を掲げ、或いは医療用のそれまで否定する、と言う事は結論でもっと酷い事態を発生はさせる。その理屈で、今の時点では「王の権威」その存在はまだ、そこには有る。

首輪をされた様な王様、と言うのも微妙な絵ではある。

負けるとしても、彼らにしろ、邪悪を呪いながら檻の中に送られるのだ。

こんな事が許されるのか、民主主義を、正義を守らねば!

そう言いつつ、或いはアメリカの黒人らは、銀行を襲撃した、と言う話もあり。
台湾の独立運動も、本当は何を意図しているか、それは謎ではある。

正義は勝つ、のだが。

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