創作への期待ではある。
「創作はブルーガンダムの様な”作品”が望ましい」
優秀な電子基板の様に、頑丈で、過剰も不足も間違いも無く、嘘はなく、その上で任意。それでいて必要十分な性能を持ち、量産性も高い。さらに「機械である」兵器として破損も消失も許容され、そこに人らしさは一切ない。模範解答、それは正にこれ。
”それ”から見ると、あなた方の作品は出来が悪すぎる。
この、結論への反発は消えないだろう…その、是非ではある。
この評価?は、そのまま駆け上がり、結論では「牢陽帝」それになり、現在では創作の評価、その最上位として君臨した、訳だ密かに。”全て”の創作は、”これ”に準ずるモノで無ければ成らない、「こういう物」ならお金として価値を、換金性を持つ。ただ?その原本はその時、価値が無限にまで上がるから、換金のしようが無いが。代わりに評価を与える時、しかし、それは結末で「牢陽帝」に成る訳だが。
これは「ガンダムとしての」実は最強?かもしれない。
ともかくは、”こういう物では無いから”あなた方の作品は売れないのだ、高い評価に成らないのだ。という管理側の?評価、要求、それへの反発が、今もちょっと問題としては重い。価値観の相違で、相手の同意が得られないのだ。これは華も無く、既存パーツの寄せ集めでしかなく、Zガンダムの様な高級感、そう言うのは感じない。私はそう言う物を目指しているのではない。
”それ”は趣味でやって下さい。
至極当然の答えは、ここにある。Zガンダムも、高い人気は誇るのだ。”現実”はそれよりも、「ブルーガンダム」そっちを求める、その異相ではある。ガンプラバトル、その結果としても”ここ”が現状、「基準」でさえある。自身の創った豪奢な鎧をまとった英雄像は、何故かこのチープな量産機に?負けるのだ、それはおかしい。
説明は、出来る。
優秀な電子基板の様な作品が必要です。
貴方の作品は、そう言うモノでは無い。
とげとげしい部分は動かしずらく、結果運用性が悪く、そして製造コストも高く、ともかく建造し難い。それに比する性能は無い、現実には。
…この感覚が出てきたのは、あの、横浜の動くガンダムが出来たから、だろうか。”あれ”でも無理を感じるのに、そこに変形やらなにやら、付けた物が何故そんな高い機動性や運用性を持てるのか?それを前にした時、ブルーガンダム、そこには”妥当”がある。
ある種、それに激昂して暴れ出す、それは何に責任があり、そして。
何故か、その辺を微妙に止め難い、その理由は何か。
解らない剣呑を何故か抱えて、これは、今も微妙に、”隠蔽された何か”でしかない。
確かに”これ”は、実際に存在する時?こんな「騒乱の元」には成る訳だが。
とは言うが、これは全体主義の起点、だろうか。
だから?