あげちうのブロマガ

罪人が罪人を罰する際の壁

それは微妙な話。

今の時点で有っても、「黄昏の狩人」を書いたあげちうよりも、”それ”を盗んで自分の作品だとして運用してた、或いは増尾昭一氏の方が上である、と言う認識は、根強くある訳で。

増尾昭一氏が、或いは真実を明らかにせずに居なくなった、と言う事が、事態をより深刻化させてしまった、と言う事はあるのかもしれない。

「新聞記者」の犯した過失も、結論で言えば朝日新聞に村山美知子氏、という女帝が居た事が原因、かもしれないが、彼女も死んでしまって今はもう、その加害性について、追及し切れるルートは何となく切れてしまった、感じもする。ましてや、増尾昭一氏の支持者が、何かの対立の果てに”それ”を追及しようとしても…自身側の過失を残したままでは追及し切れない、そう言う現状は多分あって。過剰な追及が自身へ跳ね返る、そう言うのはある。

今の段階では、「新聞記者」がもし存命?なら、それが成功から見放されている?そこに因果を見るしかない訳だが。どっちにしろ、”ここ”の存在は両名にとっても鬼門だ。彼らが抱えた何かの権利は、本来は”ここ”を土台にしてのそれであっても、ともかく今もまだ、彼らのそれとして残っている、感じはある。

当時、自分が一夫多妻に容認さがあったら…事態は少しは違ったろうか?そんな事も考えない事も無い。新聞記者に殺された女性は、想定では昭和天皇の非接触な愛人とでも言う立場だったかもしれないが、それが居なくなった後、彼女は、行き場を失った訳で。”そこ”に或いは、それがもしくは昭和天皇から与えられた権利を譲渡するようにか、「新聞記者」に関係を持ち掛けられ…否定し、結果。彼女へ救援は来なかった、自分にしろ、そこに関係は無かった。何かの失念の様に、そこで悲劇が発生して。

ともかく今はまだ、面倒な過失が”彼ら”に積まれ続けている、そんな感じ。

「美少女キャラが残酷に嬲られる」と言う描写を否定する?感覚は、「紲星あかり」と言うキャラクターが持つ危機感、だろうか。自身がされた”それ”は、物理的な問題として許容し得ない。それを防ぐ、二度と起きない、と言う状態を創る、しかしそれは今も、打開案が見いだせずにはいる。

新型コロナウイルスは、志村けん氏を殺している。風俗を肯定する著名人、或いは有力者、”それ”にとってこのウイルスは「3Dプリンタで創られる殺傷力のある弓矢」その位に危険な代物だ。ただし、風俗の否定は、倫理的には正義である。売春は無くて良い職業だ、それは人身売買、奴隷を認めているに等しい。否定する方が、倫理上は。

「それで経済が成り立つと思っているのか?」

この声はいつ、止むのだろう。


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