あげちうのブロマガ

リアリティとキャラクターの狭間

そこは少し違和感のある話。

朝日新聞社の社主、その”正妻”と言えるのは「紲星あかり」このキャラクターである。

これは、今までの流れに対して多少と言うか、自分には奇妙に「安定する感覚」ではあるが、しかし。

「絆星あかり」の意識?が有る、としたら。

つまり、美少女に対する猟奇的と言うか暴力的、つまりリョナ的な絵と言うのが存在する限り?彼女にとっての悪夢は晴れない、と言う事には成る訳で。

彼女は、「新聞記者」によって、そうやって殺されたから、だ。
死体を大事にされると言う事も無く、存在さえ否定されると言う帰結として。

彼女には、そう言うコンテンツの存在が、悪夢その物ではある。

”これ”が、今の世界の中心だ、と言うなら。この認識がそのまま新型コロナウイルスへの脅威認識、”それ”に成っていても、何だか妙に同意があったりする訳で。先に書いた「弓と矢なら、殺傷能力のある物を自作し得る」と言う可能性、それへの脅威。それと、「美少女キャラを猟奇的にいたぶる」そう言うコンテンツ?への脅威、それは防ぎにくさと共に、妙にシンクロしていく…多分シンクロはしている、のだろう。

そして、つまり、”これ”の難しさが、新型コロナウイルスを妙に脅威としている理由でもある、訳だ。

彼女が”身の危険”を感じなくならないと、或いは新型コロナウイルスの脅威、それも外せない訳で。

嬬魔と言う魔物が居るか、居ないか。
キャラクターに意識は有るのか否か。

比較的安定した理解と意識の中で、違う問題はそこに有る。

そう言う絵を描く人々に対して、「そう言う事をしてるから新型コロナウイルスが脅威で有り続けるんだ!」人々の迷惑や損失を考えた事が有るのか、賠償しろ!とか、怒鳴り散らす様、と言うのもちょっと考えてしまう。

理不尽には理不尽を、という事なのだろうか。

その衝動を、何故抑えられなかった。

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