あげちうのブロマガ

支配された王と椅子の思惑

混沌とする状況はある。

認識その物は「問題が残ってる」にも拘わらず、ルールの様なモノは「大賀さん」それを前に権利、範囲、領土、そう言う理解に支配されつつ?有る、と言う感じだ。

或いは「朝日新聞社の社主」それにとっての悪夢?それが、そのルールを盾に、別の領域に逃げていて手を出せない、そう言う。

期待された?のは、その強力な独裁性による「邪悪」その物理的排除、かもしれない。

…ただ、分析の結果では、そう言うモノこそが、”それ”を産んだ訳だ。再発を防止する上では、それを避けねばならない、時。まず「大賀さん」その決定は重視せねばならないその時、「朝日新聞社の社主」その影響も、100人の中の一人、そこまで落ちる。

人間の感情論と、「大賀さん」それによる裁量とに、やっぱり差が有る、それは思う。
そして、”それ”に対して反発するのは逆に、「敵」に口実を与える、そこも有る。


結果的にある状況は、自分の把握する「かむろぎ」と言う領域に、”それを構築した筈の”自分が入れない、そう言う認識だ。自分の構築した、娼婦の必要性が無い、商店街が総じて流行ってる、そう言う環境に、アクセスする許可が出てない。何故なら?朝日新聞社の社主、自分は今、”そっち側に居るから”だ。その領域を支配し、問題ない状態に統制出来なければ”その”世界と接点を持つ事は出来ない。ある種のパワーが増大している事が逆に、自分にとっては自分の状況を悪化させている、気もする。

最大の問題は、飢餓感の様なモノ、ではある。ネタが無い。独裁性の存在は、価値の発生を妨げ利益を減退させる、その病に侵されている。それでいて、身を切る(切らせる)それは今、ご法度である。今まで通り、支配層が奴隷から搾取する、と言う構図は発展が無い、が。その場のスキルが”それ”しかない状況の中、或いは眼前に見える光景は、何かの切実な荒廃を意味していて。

不安は増大する、じり貧だ。何とかせねばならない!が、今までの領域にはそれへの打開がデータとしては無い。感覚では自身は「王様」と言って良い状況でさえ有る、が。それはあの「新聞記者」その悪夢を、常にチラつかせる。少しでも無理をする時、それはそれを口実に、どんな非道をするか解らないのだ。

と言う状況で、自身に出来る事とは?

「かむろぎと同じモノを所望します」

或いは、この位しかない。単刀直入に言えば、自分が続けてる「ショートサーキット主張動画版」これに類するモノを、かむろぎでは無く、その「朝日新聞社の社主」その影響範囲に期待する、訳だ。その時、題材は、娼婦やホストがその職を辞めた後は?そんな議題こそが重要になるのかもしれない、「面白い?」それは解らない。判定は、大衆ではある。

そもそも「大賀さん」でさえ、自身が考案した存在なのだ。

作者がそれに対して逆らえない?そこに疑問は残っている訳だ。

0.0000000001%だろうと、生死を賭けて、それは可能性に挑む。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「インポート」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事