あげちうのブロマガ

ハンドスピナーを廻すモノ

「Youtube」は、スポンサーあってのメディアである。

だから、”そこ”で稼ごう、と言う以前に、まず「スポンサーの存在が必要」な訳だ。
この時、逆に言えば「スポンサーの方は、ご遠慮ください」そう言う視点は有る。
自分でお金を払い、”それ”を自分で回収してたら、意味が無いからだ。

”それ”に該当する存在がそこでは否定される、と言う、それは道理として有る。


「ニコニコ動画」は、創作を”娯楽として”楽しむ、そう言うメディアである。

だから、”ここ”で稼ごう、と言う以前に、まず本人が遊んでるかどうか?は大事だ。
この時、逆に言えば「利益を求める方はご遠慮下さい」そう言う視点は有る。
仕事として始めてしまったら、本人の娯楽性など二の次に成るからだ。

”それ”に該当する存在がそこでは否定される、と言う、それは道理として有る。


と言う理解で行く時、「カウンタ数値がおかしい」そこには、理由がある。


本来は、と言うか「この想定」で行くと、なら何処かに「稼ぐ事を念頭にしたメディア」が有る筈、な訳だ。

「かむろぎ」それをそう言うメディア?だと設定する。


「かむろぎ」は、創作を売る為のメディアである。

だから、”ここ”で創ろう、と言う以前に、まず売れるかどうか?は大事だ。
この時、逆に言えば「娯楽性を求める方はご遠慮下さい」そう言う視点は有る。
楽しむ方を優先して利益性が無かったら、次を創れなくなってしまう。

”それ”に該当する存在がそこでは稼げない、と言う、それは道理として有る。


同じ「自由な参加」と言う、創作に関して一つのフロンティアを形成しようとした思惑が、”それぞれ異なる”訳だが。
理解として、”この”3方向が存在する時、人は何処かに居る事が出来る、気はする。

稼ぎたければ「かむろぎ」に。
楽しみたければ「ニコニコ動画」に。
残したければ「youtube」に。

そんなニュアンスとして。


問題は今まで、「王は一人」だった事、だ。
だから、「何処に居るのか?」が、非常に重要に成っていて。
それが何処を向いているか?と言う結果、向いてない方向は切り捨てられた訳だ。
この時、ニコニコ動画とYoutubeは必ずしも利益性を求めない、と言う点で、同意は出来る…どっちが上?と言う問題こそあっても。
多数決で負ける結果、「かむろぎ」は排斥された、訳だ。

そして、”ここ”には何かの、経済的な破綻が始まった。
創作での利益性を無視する時、世間へも同じく利益性への否定が起こってしまう。


良くも悪くも、「そう言う時代」の王、ジャニー喜多川氏が、亡くなった。
その時、”この辺”の感覚も、微妙に揺らぎ始めた、と言う事はある。

今、誰が王だろう?

ハッキリしなくなった。

ともかく、お金は必要だ。
働くその否定は、全体の衰退をも招く。

現在の、それぞれの方向の王は、良くも悪くも、何かの拮抗した状況に有る。
お金が無ければ維持出来ない、のはyoutubeもニコニコ動画も一緒だからだ。

とは言え、多数決的に「かむろぎ」はまだ、2対1と、弱い立場にはある。
ただ以前の様に、一人の王の思惑だけで決まる、と言う状況でも無い。

ただ”それ”を指向する思惑がまだ、そこに有る訳だが。

脅威か、過渡期か。

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