道は開いたか否か。
「メタルギア」と言うゲームに対して、今なら解る評はある。
「バカみたい」
そして逆に、このゲームは「だから」売れた訳だが。
この問題は、「ビートたけし」そこにもある。昭和に「売れた」結果で”先生”的な立場を創ってしまった存在の幾つかが、どうも「売れた」理由を誤認している。「馬鹿だ」と言う部分を評価された、「愚か者とはこういう存在である」視聴者はこうなるなよ?と言う”それ”を表現してるんだよね?と言う理解なのだけど、本人の理解は違うのだ。
ビートたけし氏の暴言癖とかがそうだが、「愚か者」それは本人の個性でさえ有る。
”それ”を認められたと理解したし、周りも”そう”扱ってしまった。
俺は特別な存在なんだよ。
結果、彼らの自意識は歪んで、平成に成り、それは重大な損失の原因に成っていった。
”世間”も、本人も、「なんで?」それを理解はしてないのだ。
昭和に形成された、昭和天皇にしか解らない「理解」それと把握である。
結果、それは本人らの責任を問えないまま、暴走して行った訳だ。
その辺、ようやくか、抑止し得る状況はある。
ただまあ、北野武氏は会社を追われ妻とも別れる様な事態には陥ったし、メタルギアの小島秀夫氏も、それ以外のヒットを出せないまま、コナミを退社する結果へ至った。
”それだけの損失”を出して、やっと何かの「理解」は、そこに有るのだけど。
「メタルギア」がヒットした理由は、小島秀夫氏が考えてる様なモノじゃなのだ。
ともかく、今までの「先生」昭和から残る、その立場の多くが、その資格を失い、実は「空席」となっている現状は、ある。
「なんで貴方(の作品)はヒットしたんですか?」
それへ返答出来なければ、その場に居る資格が無いから、だ。
本人らの”それ”を証明し続けようとした結果、彼らはその座を追われて行った訳だが。
なら?”表”に場所は、空いている。
「市場が許容する場所」だ。
そこなら、店を出せる。
筈だ。
自分的に勝手にか「サーティーン」そう呼ぶその席は今、”ここ”に有るのだ。
「かむろぎ」それが有るなら、”ここ”から外に出れる、筈だが。
「忌々しいがそこに有った」場所だ、否定感はまだ根強い。一人でやってもダメだ。
それは、有るのか否か。