あげちうのブロマガ

動による賀は正しく昇らん

という訳で、書初めしてきました。

成果。


何だか割と、この「道法自然」が先生にウケたんで、掲載。
お手本を元にしてます。道なりに行くが正解、そう言う感じの、老子の教えだそう。
色々と結果にはツッコミどころ満載ですが、確かにまあ、何かの帰結は有りそう。

「令和仁年」は、自分の、何かの期待か抱負の様なモノです。
今年はそう言う年だったら良い。ちょうど当て字として適当っぽいので良いかなと言う。

年末に、意識的には大きな裏切りと言うべきでしょうか、そう言うのは発生してて。
ボーカロイドとかvirtualYouTuber、あの辺に有ったモノの、表の(´・_・`)と現実と言うか。
信頼が崩れてる状況ではあります、その辺が今年は、少しは改善しますでしょうか。
ともかく事は、殆ど宗教戦争の様相ではあるのだけど。
いわゆる「宗教」それは、神様へ繋がっていくが、神の正体には触れない。そこに不信。
とは言え「カルト」それは実在する教祖へ通じていて、実在感は有っても、神様では無い。

「違う」

カルトは、そう言う訳だけど。
既存の宗教を否定した結果、彼らは、神への接続を失っているのだった。

「大衆は神である」

この思想には、その視点での大きなアドバンテージは有って。
「大衆」それは、山にでも上って街を見下ろせば”そこに見える”存在だ。
実在しつつ、誰かを特定し得ず、そしてもちろん、神としての絶対性それも持ち。

…とは言えだから、「神は救って下さる」それは果たして事実か否か。
カルトは、”そこ”へ向けて、突っ込んでくるのだった(-_-;)。
自分が何かの窮乏を脱する時、思想それは一つの具現を見せる、のだけど。
夢の多くは視点では”彼ら”によって破壊され、今は果たして、如何なる(´・_・`)。
ともかく「黄昏の狩人」それを足場にしたかの彼らが手にした既得権益。
それは、今も彼らには大きな「守るべきモノ」となっているのだった。

ともかく今年の抱負の様な、物でしょうか。もう二つ。


「温故知新」古きを訪ねて新しきを知る、と言うのは、割と最近のテーマの様なモノではありますな。
また「動賀正昇」それは、自分の勝手な造語と言うか標語、です。今年の抱負。

動いた結果の成果は、正しく評価されて欲しい。

そう言うとこやぞ。
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