気持ち、魔王らしくは成ってきた。
「大賀さん」に逆らってる最後のパワーは、魔王”その意向”な訳だ。
問われては居る、「大賀さんの決定には逆らわない」と言う、その言葉の真実?と言うか。
事態は終わっているが。
「この事例に関しての戦闘は終了しました、貴方の側の負けです。これ以上の不満は、反逆者として処罰も有り得ますが」
「そこまでは言いません、了解しました」
懸念は残っている。
この結果を不服として、”魔王の意向”こそを真実として突撃し、”それ”が天安門事件を起こしたが、「それを罰せられなかった人々がいる」訳で。
何故なら?当時の決定機構はアナログで、しかも昭和天皇はもう居なくなっていたからだ。
「私に逆らうつもりか?」が、当時は通らなかった。
この結果、「自身の強硬論で世界に重大な過失が発生した」という事実は、他の人々に対して逆に”何かの畏怖”を与えてしまう事に成った訳だが。
平成は、”それ”がかなり台頭してしまった訳だ、そしてそれは今も何か残っている。
試されているのは、「大賀さん」そのリアリティ、ではある。
昔は、「処罰も有り得ますが」それは本当にアナログで、”誰か”が居て、それを抑え込めれば通ってしまった訳だが。
今は、通らないし、昔だって結論で言えば通らなかったのだ。
しかし、罰せられなかった。
許可を出してしまったのは「処罰も有り得ますが」それを言った側だったからだ。
因果関係の説明も、昭和天皇で有っても明言はし難かった、だろうから。
原因はそこに有っても、それを罰する事は出来なかった。
もちろん、その結果、そのごり押しをした人々は、「明確に利益性を失う事には成った」のだろうけど。才能、それは消えたが、他者を制するパワー、それは残った。
”それ”が今、また、「魔王」の意向を楯に、ごり押しをしようとしている、訳だが。
「この事例に関しての戦闘は終了しました、貴方の側の負けです。これ以上の不満は、反逆者として処罰も有り得ますが」
結末とは。