無念の様なモノはまだ、ある。
結局、如何に努力しても一夫一婦を絶対とする限り、既に妻が居る相手との結婚、それは”基本的には”有り得ないのだ。
そしてそれは、その思いを寄せる相手の主義主張、”そこ”に、原因があって。
その絵を素晴らしい、と言うなら、”それ”はその矛盾を抱える事になる。
相手に、或いは岡本太郎とかの権威性があるなら、”それ”を否定する事は出来ない。
特に、昭和に関しては、その矛盾が強くある。独裁創作が利益に成らない事に、強い疑問と否定感、そして打開への強い欲求があって。
”それ”が上の悲劇を招いてしまい、そしてそれはまだ、しこりの様に残っている。
”その”解釈は、打開と言えるのか。
目上を敬え。
その時、最上位の年長者、目上、それは何か?と言えば”物理”だ。
人類とは、それが百億年以上を費やし構築した、この現実の上に居るだけの存在だ。
”それ”が、その百数十億年、と言う月日を無視して、自身の理想を要求?それは道理に合わない。
「神様がそう決めたのだから、諦めるしかない」
独裁創作、それは利益に成らないのだ。
ピカソだろうと岡本太郎であろうと、”それ”は超えられない壁だ。
神の決定である。
その夢は、潰えたのだ。
岡本太郎へ、「貴方の絵は、お金には成らなかった」それを言う。
その先とは。