シニア世代が問題なのか、その影響を受けたその後の世代が狂ってるのか?だが。
今まで書いてきた話、その方法論を、しかし「軽犯罪の重過失者」は使えない、訳だ。使ったとしても失敗する、背負う負債がそれ以上に重いからだ。どれだけ理解し分析し研究して再現してもダメ。才能が無い?違うのだ、罪人は作家になど成れないのである。
万引き、詐欺、デマ、侮蔑、陰口等々。一回100円そこらの被害額、そう言う加害は、しかし「累積」してしまう。次にやる時には同じ100円でも200円の加害に、と言う感じで蓄積していく時、ふと気づくと被害額の総計は10万円程度なのに、加害としての負債は1000万円規模に膨らんでいたりする。創る創作に、「まず」このペナルティが掛かる時、その創作はどれだけ正しい事を言っていても、「聞く価値が無い」不愉快だいらない、そう言うモノにしかならない、むしろ加害を増やしてしまう位だ。
それは、当然ではある。万引き常習犯に説教されるか教えを受ける程、腹立たしい事も無い。数十万円程度のマイナスならまだ良い、数百万円に入ったらもう、相手の言う事には何を言おうが常に嘘っぽさが発生、それは或いは結果にさえ反映する。単純労働ならまだ良いだろうか、だから、そう言う事を続ける先は?そう言う仕事しか無くなる。ぶっちゃけ、「人間がやる必要が無い」事しかない…意図的にその辺を用意しないなら、彼らはもう、社会的には死亡する。
”それ”が、或いは自分の子供だったりしたら?
現在の問題としては、要するにそう言う事なのかもしれない。
シニア世代の利益性は、でも、そう言う「軽犯罪の重過失者」らが齎していた、可能性は結構有るのだ。彼らが万引きなどで利益を上げた、”それ”を投入しないと、独裁的な創作は利益性を持てないのである。その位に、独裁創作は実際、利益にし難いのだ、実は「アートに価値なんか存在しない」のである。その中で、「神」に通じる創作?そう言うのが幾つかあり、そこは神様からオーダーが出ているだから、そこは少しは利益性が有る、のだが。
それは独裁者じゃないのか?
結論で王の権威を容認する限りは、「創作は根本的な利益性を持てない」のであって。創作業界は割と最近まで、だ。「利益性なんか無かった」のである(-_-;)。軽犯罪の重過失者だろうが聖人君主であろうが変わらない、この場合逆に、後者の方がむしろ売れなかったりする(独裁性が強く出てしまい命令に成って、不快を感じる)。映画産業が廃れ、テレビが何故台頭したか?テレビはスポンサーが払えば良いからだ。発表する作品が利益を上げる必要がない、後は天皇陛下等の理解さえ有ればそれで。また軽犯罪の重過失者は「パクリ」盗作、そう言う事にあまり否定感が、無い。数百円の加害では、累積しても数回なら数千円規模だ。「王の権威」からパクれば、そのアイディアは利益性があったりして、一瞬?とか、聖人君主を超えてしまう。
…ただ、「パクリ」の加害は、後からじわじわと、”勝手に膨らんでしまう”様だ。先の例だが、「一つ成功するとみんな真似する」或いはネタにする時、”そこ”に掛かる訳で。それらの「真似た」作品は総じて「パクリ」の加害を持つが、土台がまずパクリなのだから同じ事をされても罪とは言えない、応報でしかない。しかも、一つ真似される毎に、土台は「パクったよね?」その加害をコピー先で更に累積される事になる訳だ。かくして土台の作者は、重い重過失を、勝手にどんどん背負う事に成ってしまう。
…次からは、「何を創っても売れない」地獄が始まる、訳だ。
この「累積する加害」を止める方法は、「パクリだった」事を公表する事、かもしれないが。実はパクリだった、事が解れば、それ以上は”そこ”を土台にするのは、パクる各自の自己責任になる…加害の累積は止まる。とは言え?軽犯罪の重過失は一度付くと、もう減算しないのだ、「昔は万引きの常習犯だったんですが」その評価は、一生変わらない、信用出来ないフラグが、雰囲気等々に付く。佐村河内氏とかエンブレム佐野氏とか、評価はもう、「パクった人」それから、変わらない訳だが。
「たかが万引きじゃないか、それで殺すとか」
シニア世代は、或いは独裁者は。”これ”を切り捨てる事が何となく出来ない、訳で。「利益に成らない」テレビ業界にとってこれは禁忌でさえあり。不幸な偶然と言うか、それは或いはでも、因果の果てなのだろうか。
キリストは、ユダヤ教の信者を略奪したのか、或いは自身の信仰を開拓したのか、どっちだったのだろう?