あげちうのブロマガ

聖者の影に悪魔が潜む

医療という環境も、面倒ではある。

技能、知識、それが高い方に、高額医療その他の設備を与えるべきだ。
それが命を守る事を考えたら最善であり、必然でさえ有る。

つまり、高い技術=高い報酬で無ければ成らない、訳だ。
不意に、あの「中村哲医師」その、無念か執着、その影かもしれない物を、見はする。

実際に、現場レベルでこれをやったら、むしろ状況は悪化しかねない。
技能差が広がる一方だ。ヘタな環境は設備も悪く給金も低い、簡単な風土病でも治しうる手段は消えていく、その差は広がる一方だ。とは言うが、技術レベルを無視しての給金設定では、現場の意欲も薄れるかもしれない。「命を守る」それを優先する時、最善それは何か。

或いはその果てに、中村哲医師は単身、アフガニスタンに出向いたのだろうか。

高い技術を持つ者こそが、現場に行かなくてどうするのか。
世間も、”それ”に対しての支援をするべきだ。

結論で言えば、高い技術に対して高い給金を、世間は払わねばならない!と言う、そう言う帰結かもしれない。流石に死者のそれだ、混沌とはしている。結果、彼は最後に凶弾に倒れてはしまう。そのまま行く先に有るのは、何かの格差社会だ。高い技術=高い対価、貴族と奴隷、その形成、それは”その肯定”に成っていたか。

美しくもある正義の帰結は、ただ、何かの歪みをそこに見せはする。

「大衆は神である」もまた、何かの極論化する果てに、歪んだ様を見せては居るのか?
大衆その決定は常にか、天変地異の様な形でしか現れない。その前に、しかし。

思想は、ユダヤ教的な選択に帰結はしていく。
旧約聖書の人々も、生き延びても、決して”良い事態”には成っていない。

その是非は、自身の現状を考える時、少し考える話。

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