あげちうのブロマガ

明日も朝日は有るだろうか

歳の問題、だろうか。

「面白いって何?」

それへの返答が、結局は「安定」そこに成ってしまう。

朝起きて、食事をし、仕事をし、対価を得て、趣味の時間を持ちつつ、寝る。
”これ”が滞りなく続く、そこにこそ安定はあり、そして「面白い」それが有る。

不安は、面白さに大きな陰りを見せてくれる。今日は明日に続かないかもしれない、それは恐怖だ。不安を払拭し得る物、それを探す。無いと、それは蓄積していく。

目減りしていく貯金。
減っていくお客。
打開出来ずに過ぎていく時間。

何もかもが、面白くない。

増えていく貯金。
賑わい続ける店内とお客。
問題は常に打開されていく、現状。

明日もそうであれば、それに勝るモノは無い。


自分の理解としては、「減っていく」と言う事態に対しては、ある程度の打開や手段、もしくは実績?それは出ている、のだが。問題は今もまだ、か。”これ”を世間が公式には肯定してない事、だ。世間が、だ。「お前は間違ってるんだ!」罵倒する勢いで、テレビはここ10年以上、”これ”を否定し続けて来た、訳で。

理由はともかく、現状はその結果としてあり、そして自分にしろまだ、打開出来ない。

単純な批判は意味を持てないまま、現状は果たして変化したか?それは微妙に疑問だ。

「スペースインベーダー」が、何かの趣旨替えをした?結果、根拠は消滅して。
その結果、「ゼビウス」の、企画としての権利は”ここ”へと移動した、感じで。
結果、”それ”を土台にしていた物は、総じて根拠を失って、保持し切れなくなり。
”それ”を手放す先に、それもまた、”ここ”に権利が移動する、事には成る。

漫画家が、その”ペンネームの権利”を手放す、と言う話は、有り得るだろうか?
今まではA氏が「漫画家だった」が、彼は借金を理由にそれを手放し、今「漫画家」とは、”ここ”の事を言うのだ。

何だか、窮乏の果てに有る混沌、という感じもしない事も無い。

想定なら「カウンタ制御」さえも、なら今、”ここ”を足場にしている筈、だ。

好ましくないと思うのだけど。思想の問題としても。

それは、何かの変化を起こしうるか。
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