気づくと、一部の地域は夏休みだ。
これからまあ、子供らにとっては楽しい事がいっぱい目白押し、な訳だ。
ええのう。
…しかし、それを前に懸念ではある。
タレントの闇営業問題で、ビートたけし氏の見解は、事務所の管理不徹底と言う話。猿回しの猿が不祥事起こしたら、怒られるのは飼い主だろう、事務所はその意識が無いんじゃないのか?
…その理屈で言えば、「彼を飼ってる奴」に、彼の行動の責任は全てある、訳だ。
彼を誰が飼ってるのか?それは今、或いは彼自身でしかない、筈。
この時、ビートたけし氏は、この説明で納得するのか否か。
そこには剣呑を孕んで混沌がある。
現状、ビートたけし氏は「働かねばならない」状態である事は多分、間違いないのだから、それで有る限りは、何かの枷の中には居る。自身に起こる事は”全て”自己責任だ、それも帰結では解ってる話の筈だ。
その上で、一部に不意に落ちている、多分彼発のネタがどーも、悪い。
つまり、タレントとしては有力者だが、クリエイターとしてはちょっとどうなの、そんなビートたけし氏に対して「ヘタか?」とツッコミして良いのか?と言うのは、一般人には重い懸念な訳だ。相手が怒り出したら、部下を引き連れての新聞社襲撃位は、”本当にやる”のだ。”それ”を抑止し得る安心感が、何だか今も無い。
不満は、「今の彼は”天才”と言う珍獣でしかない」事だ。
技術を評価されてる訳じゃないのだ。
昭和の頃に特許を取った何か、”それ”しか評価されない事が不満だ。
解るのだろう、「バカにされている」のだ。他は技術者だが、本人はパンダだ。
でも、それは彼自身が「自分で否定してきた事」なのだ。
今更、ではある。自業自得とでも言う事だ。
悪魔と取引でもしたのだろう?その対価でしかない。今更。
”それ”で多分、納得しないだろう事に、夏休みを台無しにされかねない不安はある。
そして、同じく悪魔が微笑んでいそうな事に、更に重い懸念がある。
昭和天皇は居ない、ジャニー喜多川氏も亡くなった。「次は?」でもビートたけし氏を”そこ”に置くのは今も、懸念が重い。
しかし、飼い主を探しているが、野生の熊を飼うのはリスクが大きすぎる。飼い主を名乗る時、そのリスクを背負わねばならない…それはちょっと、嫌だ。
「大衆は神である」問題は、ビートたけし氏には、その思想は無い、事だ。
その果てに有るのは、自分の把握では、京都アニメーションのあの悲劇でしかない。
第二、第三の悲劇は、まだ?