あげちうのブロマガ

老人しか居ない街

形式上、自分は「働いている」筈。

ただ、その一般的な認証は、ほぼ期待出来ない状況、でもある。

だから、例えばビートたけし氏に文句を言う場合、相手からの反応は、”ちょっと自分には理不尽な感じ”には成る訳だ。そしてそれを、今も抑止出来ない。

その上で、相手が土台にしてるのは、「古い麻雀」でしかない。
ハコテンに成ったら”食われて消えるだけ”だ。彼らの道理はそこにしかなく。

つまり。

”その暴走”を止められてない、今も、その懸念は重い。


その意味で、最近発売された、ゲーム。
「My Friend Pedro」
https://www.youtube.com/watch?v=L8oJ78w8SYo&t=45s

老人らで構成されたギャング集団に支配された街を開放しろ!と言う。

笑って良いやら怒って良いやら、何とも微妙な感じ。

現在の懸念にしたら、良い合致かもしれないのだが、それだけに、打開の仕方が短絡過ぎて、笑えもしない切なさはある。「問題あるシニアなんか、全部ぶっ殺せば良いだろ」自虐の様な、批判の様な、ともかく”現状としてはそう言う状態”かもしれないが、手段に無理がある。

笑い話なのだ。ツッコミ待ち。その街は凶悪なギャングに支配された!と行ってみたら、居るのは立ってるのもおぼつかないジジイばっかり、と言うのは、何かのリアリティとしてちょっと面白い。「どうしたらいいんだ?」確かにその通りで、そして。

…でもこれは”現場の判断”だろうか、打開の手段が「殺す」しかない。

それは、打開に成ってない気は、する。


”これ”に関して、「現場のスキルが低い」と、言うべきだろうか。

ストリードの連携では、「現場はオーダーの拒絶が出来る」筈だが、例えばビートたけし氏が”この”オーダー元だったら?それは出来るのだろうか。断ったら暴れ始めるかもしれないのだ、それと比したら、何かの妥協は存在する。問題を感じない状態にするには、彼を抑止せねばならず、その時、それは可能か?と言うと、かなり面倒な壁は、実はそこに有る。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」何か間違っているか?

リアルに、そんな話と”その後”だ。大惨事が起きても、この言葉は今も妙な権威を持つ。

或いは、「他に方法が無い」その果ての何故か、京都アニメーションの悲劇ではあり。
「美しくない愚者は殺す!」その果てに世界は何故か、”自称”美しい方を、殺した。

「神が居ない」或いは居なくなった世代の、確かに、リアルな暴走ではあって。
親がボケた人の苦労、心労、それのように、それはここに有るのだろうか。

現場の責任ではあるのだけど。
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