…攻めるなぁ(-_-;)。
ともかく、”この”領域が、例え「ストリードを張ってある」としても。
個々のブログが大概は、独裁的創作である事は変わらない、訳で。
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「対魔忍ユキカゼ」これが出てくる、その理由は、要するに「隣を押し潰す様な影響力が出る」場合に、なる。”これ”が出てくると、それ以上の成功は無い。そしてこれが出る限り、その主義主張それは絶対性を失う。理不尽ではある、その前の世代?アサギ?だったら”まだ通る”のだ。大口のスポンサーに窮状?を訴え動かして、お金を引き出してしまう…その為には何をするべきか?平成の色々な作品は、或いは「こういう作品」での成功例を土台にしての、攻撃的な作品だった、そう言うべきなのかも。
と言う時、ユキカゼにはどこまでやっても相手?は動かない、訳で。この時、独裁創作はその利益性を失う。逆説的に独裁創作の利益性は”これ”でしかない、その証明みたいな存在なのかもしれない。創作が利益性を持って無いと、経済は直ぐに壊滅する構造がある、「ネットカフェかゲームセンターらしき店」が維持出来なくなるからだ。良くも悪くも、対魔忍ユキカゼとは、一人を守ってその他大勢を経済的窮地に追い込んでしまう、そんなキャラ?ではある。否定感と執着が奇妙に集中している、それは理由だろうか。
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が、しかし。
現状、感覚論での「逃げ道」ではある、「アクセスカウンタでの利益分配はどうあるべきか?」その、一案。プール金の%分配、と言う時、その領域は、熾烈なカウンタ数値の奪い合いになる訳だが、良くも悪くも弱肉強食、カウンタが低い奴は去れ、みたいな環境には、成ってしまう。良くも悪くも「神様には逆らえない」時、逆に「神様から要求がある」場合もあって。雑魚は踏み潰して良い、それも、或いは「神のオーダー」と言う場合はあり。
独裁創作の利益性は、「ない訳でもない」訳だ。それは”雅”市場でも、否定はされてないし、「嬬魔」の存在はその上限さえも超えた利益を、作者に齎すの、かも。独裁性は、でも攻撃力でもあり。「紛争解決機構」それが十分な性能を持つ時、創作だけではどうやっても戦争には成らない、なら。神が許すなら、他者を潰すような真似も、実は許されるのか。
真面目に働くべきではあるのだけど。